金比羅街道を歩く・早島2
大内田、千手寺88番霊場 |
しばらく進んだところで、右に折れています。あ、でもそのまま進んだところに金比羅灯篭が見えます。「天保12年(1841)」とあります。幕末の灯篭ですね。「金比羅大権現」のほか四方には「八幡宮」とか「吉備津宮」とあります。
あ、左にお宮さんが。「荒神社」と。あちこちにある荒神様です。でも、入り口に「順路」という立て札が?何なんでしょう。近くを通られたお年寄りに声をかけてしまいました。「あ、あれはここいらにあるお大師様を巡る立て札です。」「金比羅街道なら、この道をそのまま行ってください。流通センターができて、道は無くなってしまいましたがね。昔は塚山の横を通っていたんですけどね。今はもうわかりませんよ・・・」 |
なるほど、道々に小さな祠があって、「77番道隆寺」「80番国分寺」などと書かれています。どうやらここらあたりにも四国88箇所のミニ霊場があるようです。
そこを中心にして「地場大師88箇所霊場」というのがこの近辺のミニ霊場だそうです。別名「千手寺88箇所霊場」だそうです。江戸時代に近くの「妹尾崎、坪井、矢尾、大内田」の4カ村に渡って設置されたものだとか。阿波、土佐、伊予、讃岐の4カ国の霊場がこの4カ村に対応しているのだそうです。あ、それなら今の早島町矢尾は伊予の40~65番があるのですね。また調べてみなくっちゃ。 |
この千手寺からは、金比羅街道が通っている大内田の勇壮な町並みが一度に望めました(冒頭の写真)。
街道は、妹尾崎あたりから流通センターへ上がる道へと続きます。そこからさらに山道へ・・・でも行き止まりのようです。う~ん、この方向は流通センターの中央あたりですね。どこへ行くんだろう・・・。 (2013,2,3) |