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金比羅街道を歩く・早島5、
無津の金比羅道

9、無津の金比羅道
 無津の集落の中をたどるかどか迷ったのですが、地図どおり道なりに進んでみました。やがて正面に荒神社が見えてきます。境内には自然石の立派な金比羅灯篭がありました。天保9年(1838)のもので、正面には「戎宮、吉備津宮、金毘羅宮、荒神社」とありました。北を向いているので、どうやら下の街道から移動したのではないかと・・・。

 左に進んでいくと正面の民家の庭先に小さな道標がありました。「早島の歴史1」の405ページにのっている道標です。「左しもつい・しもむら道、右にわせ・おか山道」とあります。早島の歴史では「かってここは立石の白玉で有名な早島名物の白玉の製造元があったという。ここを行きかう旅人もこの白玉に舌鼓を打ったことであろう」と書かれています。

 短い上り坂を登ると広い県道185号線にでました。なんとそこには「左金毘羅道、右吉備津道」という真新しい道標があるではありませんか。  金毘羅道はここから今は広い道をたどって松尾坂を南へ越えて、次の信号から西へと旧道にいっていくようです。(2013,5)

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