条里制の遺構が残る倉敷市北部のこと |
「新修倉敷市史第2巻」には、「条里制の遺構」として付録の詳しい地図も含めて解説されています。条里制って??というのが私の最初の反応でしたが??(右写真は、新修倉敷市史2巻から庄地区)
「条里制(じょうりせい)は、日本において、古代から中世後期にかけて行われた土地区画(管理)制度である。ある範囲の土地を約109m間隔で直角に交わる平行線(方格線)により正方形に区分する」とネットのウェキペディアにはあります。 でも、どうせ中央政権が庶民から税を取り立てるのに便利な制度だったのでしょうね。そのため、弥生時代から人が多く住み、文化も発達した倉敷市庄地区などは、細かく区切ったんでしょう??
遺構が見られる一帯の、主な現在の地名を北東から拾ってみます。 矢部、日畑、西尾、山地、上東、下庄、栗坂、二子、松島、徳芳、三田、中庄、鳥羽、生坂、西坂、平田、浅原、西岡、浜ノ茶屋、宮前、福島、大島、浜、富久、倉敷、老松
となるようです。
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