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"鑑真"が開基した倉敷のお寺さん
倉敷市西岡の行願院と龍昌院のこと
 事情があって今回「倉敷の奈良・平安時代」というホームページを始めることになりました。そこでいろいろと調べ始めたのですが、倉敷にあの「鑑真和上」が開いたというお寺さんがあるということで、出かけてみました。
倉敷駅から北へ少し。安養寺のある倉敷市浅原の少し手前、倉敷市西岡というところにある2つのお寺、行願院と龍昌院です。
 それにしても唐から日本へ来られて、仏教を広めたという鑑真和上。その人がここ、倉敷の地を踏んでおられたとは??半信半疑でもありましたが、さて・・・。

浅原への道のすぐ横でした・行願院
 何回か行ったことのある、倉敷市浅原への道のほぼ半ばを左へ折れると、車はまもなく上りの道になり、そのまま行願院の境内へと入って行きました。
 きれいな庭のある気持ちの良い雰囲気を持ったおてらさんです。いつまででもたたずんでいたいところでした。
 ここが倉敷の北にそびえる福山山塊の西の端の丘、西岡というところにある鑑真が開いたお寺の1つなのですね。
 少し前の、山門(下写真右)は古い伝統ある趣を持つ門で、お仁王さんも怖い顔をなさって立派でした。市指定の建造物だそうです。
 何々、『西岡山西安寺大坊行願院』とあります。これが正式名称でしょう。「真言宗御室派」ともありました。

もうひとつは龍昌院
 行願院から西へ山道を行きますと、一段下がったところに「鑑真開基」のもう一つのお寺「龍昌院」がありました。こちらも立派なお寺で、ゆっくりと拝観させていただきました。
 高野山真言宗のお寺さんだそうで、本尊は阿弥陀如来でした。

『西安寺』という大寺のこと
 しかし何といっても私の興味は「奈良、平安時代のこの西岡にあったお寺さんは?」ということなんです。そこで、いろいろと当たってみました。
 「都窪郡誌(大正12年発行)」「高野山真言宗備中寺院めぐり」などに詳しい記事がありました。そこから抜粋意訳します。(文責杉原)
 天平勝宝6年(奈良時代の西暦756年:東大寺大仏開眼の2年後)、唐から日本に渡ってきた鑑真和上が、唐招提寺から岡山の地にやってきて巡錫(修行僧が衆生教化と自己修養のために諸国を巡歴すること)したと伝えられています。その時西岡山(福山の西南に延びた丘)に七堂伽藍を建立し『西安寺』を開基、その後西岡山は仏法繁栄の霊地となっていました。
 創建当時は本坊の慈照院を中心に、来迎院、義燈院、大智院、宝積院(今の倉敷市鶴形山の観龍寺)、善勝院、長福寺、多宝院、福樹院、十乗院、持国院、財善院(今の行願院)、龍昌院の合計13寺院が存在していました。
 文亀3年(1503)から永正5年(1508)の間に兵火等により11カ寺が壊滅し、 財善院、龍昌院だけが残されました。慶長年間(1596~1615)に再び火災により焼失していますが、その後両寺院とも復興されました。
 財善院は元和元年(1615)勢譽法印により再興され、元禄12年(1699)には名を行願院と改め、本坊(西安寺慈照院)の地所へ移築されています。


 すごいではありませんか。奈良時代から平安時代までの約800年間にもわたって、ここ倉敷市西岡の地に、西安寺という大寺が営々と営まれ、歴史を築いてきたのです。

 当時の寺院はまさに文化の中心です。奈良・平安の倉敷、ますます面白くなってきたようです。(2018,5)

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