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シャーマンが被った鳥のお面
2009年県内の発掘調査報告会より

 年に一回開かれるこの会。岡山県古代吉備文化財センターの主催です。今年は県立博物館でした。

弥生時代、高梁川の西にシャーマンが

 なんといっても今年の出物は総社市上原(かんばら)遺跡から出土した「人面土製品」でした。高梁川の西側、今で言うと総社大橋を渡ってすぐのところです。弥生時代、ここはおそらく川と川にはさまれた土地だったのでしょう。そこから出た土製の鳥形のお面。おそらくシャーマンがこれを頭に被って、羽飾りなども付けて、あれこれと唱えたのでしょう??こけおどしのお面と、訳のわからない呪文にみんなが有り難がった様子が手に取るようです。
 弥生時代の吉備は、全国一巨大な墳墓(楯つき遺跡)が築かれたところです。文化的にも進んだ(当時としては)所だったのでしょう。
 眉や鼻が出っぱっていますね。とさかみたいなものは頭の後ろまで続いて、被ったときに落ちないようになっていました。鼻には穴も開いていたようです。これに鳥の羽飾りを着けたら、なんだかアメリカインデアンの姿そっくりではないでしょうか??。アメリカインデアンの祖先は日本などを経由して渡っていったといいます。こういうものを見せられると、私たちの祖先とアメリカ大陸の先住民族との共通性をいやでも意識せずにはおられませんね。アメリカ大陸と言いますと、今や新しい社会主義が花盛りのところです。我が日本もご先祖様にあやかって、もっと民主主義を発展させねばならない・・・、などと想像をたくましくしてしまいました。

竹林寺山天文台にも遺跡が

 この日はほかに6つの報告がありました。どれも興味深いものでしたが、2つほど取り上げます。1つは「竹林寺山天文台遺跡」です。最先端の竹林寺山天文台と遺跡の取り合わせが面白かったのですが、以前の発掘とあわせますと、海抜340mというここに高地性集落が営まれていたことがわかったそうです。う~ん・・・。
 ここの特徴は、山の上の岩盤地帯と言う固い土地に、穴をくりぬいて竪穴住居を建てていたことで、当時の皆さんご苦労されたようでした。

「由」「吉」という文字の謎

 もう一つは、岡山工業高校のすぐ横の遺跡から出た「墨書土器」です。京山のすぐ下のあたりですが、ここに井戸などがあり、いろんな遺物がでたそうです。中で、「墨書土器」といって、墨で文字が書かれたものが多く出たとか。奈良時代から平安初期のころに多く使われたものだと言います。「由」「吉」の意味はよくわからないと言いますが、さて・・・。どちらも「よし」とも読めますね???。
 同じところからは、すずりや土馬、緑彩陶器なども出土し、お寺などの伝承がないことから、「役所や寺院で働いていた人たちの居住地ではないか」などとそうぞうされていました。

 ほかにも「備前国分寺跡」「美作国府跡」「岡山城本丸下段(元の烏城テニスコートのところ)」など興味深い発掘調査の報告が続きました。(2009,8)

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