考古学界の山頭火、平家蟹さん岡山へ来る


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 「こんにちは」
 『こんにちは。平家蟹です』
 ここは倉敷市のとある新興団地。青色の軽バンの影から、眼鏡のヤサ男然としたその方は現れました。
 「この車で全国を回っておられるのですか」
 『そうです。でも現地ではあのオートバイでウロウロしています』
 こちらはかっこいいモーターバイクです。ふーん。このバイクで山道を走っているんだ。

 何と全国にはものすごい人がいるものです。「全国の古墳見て歩き10年。その数、名のある古墳で約600、無名を入れると1000以上。車とオートバイでの走行距離8万キロ。」というのですから。8万キロとはちょうど地球を2周した勘定になります。
 その人の名は「平家蟹」さん。え!、変わった名前ですって。そうです。もちろん本名ではありません。パソコン通信の大手、NIFTYのハンドルネームなんです。
 そこの考古学会議室で「全国の古墳見て歩き」という連載を書き続けておられます。岡山編だけでも9編にわたろうと言うのですから、そのものすごさがわかろうというものです。
 ところでこの平家蟹さんが私の地元倉敷へおいでになったのです。それもわが家のすぐ目と鼻の先へこられたとあっては、「趣味の古代吉備」のホームページを始めた私としても見逃すわけにはまいりません。
 さっそくお訪ねして、インタビューとあいなりました。

 「すごいパワーですね。地元の私たちでもあんなに吉備の古墳を知りませんよ。毎年春にはやってこられるのですか。」
 『ええ。冬場は勤めが暇なものですから。毎年1カ月くらい休みをとりまして、近畿から中国にかけての古墳をめぐっています。こんなことはじめてからもう10年にもなるでしょうか。』
 さらっとおっしゃいますが、聞いていた私は2の句が継げません。口をポカンと開けた姿は、さぞかしおかしかったのではないでしょうか。

 「ミ、宮城県からですよね。」
 『ええ、仙台です。そのほかにもよく関東の古墳をめぐっています。』
 どうやら私と同じ勤め人ではあるようですが。おずおずと「会社」の名刺を差し出す私に対して『実は先日個人の名刺をつくりまして』といわれる平家蟹さんの名刺の、名前の字の大きい事。何か人間の規模といいますか・・・。
 でもここは気をとりなおしまして、まずは身元調査?あたりからと、
 「ではまず平家蟹というペンネームの由来あたりからお願いします。」
 『私、下関出身なんですよ。それで名産の平家蟹の名前をいただきました。平家の怨念がこもったといわれる恐い顔をしたカニです。』
 『そこから天文学をやりに仙台へ行ったんです。最初は望遠鏡で空をながめたり、天文台などもめぐっていました。そうそう、この倉敷の町で本田実(彗星の発見者として名高い)さんに出会った事もあります。この前のヘールボップ彗星のおりは、ぜひ美星天文台(岡山県西部の美星町)へ行きたかったんですがね。』
 「で、天文台めぐりがいつのまにか、地上の古墳めぐりになったとか。」
 『ええそうです。はじめはあの前方後円墳の姿になぜかひかれたんです。でも最近は古墳の石室に入るのが楽しみみたいになってしまいまして。1日に一回は潜っていないとどうもおちつきません。高松塚の時がきっかけだったようには思いますが。』
 「でも、もう10年も、毎年1カ月といいますと、もうほとんど回り尽くしたんじゃあありませんか。」
 『たしかに。よくあきないと重います。けっこう同じところにも何回かいってはいますし。吉備の古墳はもうほとんど見ましたね。』
 ゲゲッ。そうすると1、000以上というのは延べにするとまだ相当な数になりそうです。
 『操山ってあるでしょう(岡山市東部の丘陵地帯)。杉原さんも昔デートコースだったとか。』
 えっ!。いつかそんなこともNIFTYで書きましたっけ。(汗がでます)
 『あそこを歩いていますと、たくさん古墳がありますね。道の横に石室があったり、石棺がころがっていたり。資料にはあんなに載っていませんがね。』
 私などの目には、「ここが○○古墳」といった立て札でもないかぎり見えないものが、次々と見えるもののようです。

 「吉備の古墳で気に入ったものというのがありますか。」
 『そうですね。造山、箭田大塚、それと矢掛の古墳群でしょうか。矢掛は資料にはほとんど載ってないのですが、現地で町史を見せてもらったらもうビックリ。古墳が50~60カ所もあるんです。大きかろうが小さかろうが、有名だろうが無名だろうが、ああいうのをみるとみんな見たくなってしまうんです。』
 『でも、道が無くってとても近寄れないところもありますね。吉備の天狗山古墳。今発掘中なんですが、あそこなど道無き道をかきわけて、やっとたどりついたと思ったら、反対側から登るいい道ができていたとか・・・。同じような事はけっこう多いです。』
 『古墳の形も変わりますね。作山など以前は松がいっぱいで、やぶの中になんとか前方後円墳らしいと確認できたのですが、最近はきれいに山の形が見渡せますしね。』

 興味深いお話はとどまるところをしりません。
 『よく現地で道を尋ねますと、「あちらですが、今行かれてももう何もありませんよ」といわれるんです。どうやら発掘されて、埴輪なんかは残っていないという意味らしいんですが。でもこちらは山が残っていればいいんです。こんなことはなかなかわかってもらえないでしょうね。』
 「あの古墳見て歩きっていうの、まだまだ続くんですよね。」
 『ええ、今度は津山の近辺を書くつもりです。』
 「楽しみにしています。引き続きがんばって下さい。ありがとうございました。」
 まだまだ長いインタビューでしたが、この記事、そろそろ終わりとさせて いただきます。

 でも、お話を聞いたあとのこの爽快感はどうでしょうか。
何となく「考古学界の山下清、いや山頭火」なんて言葉が浮かんでしまいました。
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