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鬼の城は今

 今日は職場のOB会の皆さんとの、鬼の城ハイキングです。私にとっては1年半ぶり、前回のレポートからは3年たってしまいました。
 完成した西門や角楼、昨年の台風被害も見てみたいところでしたので、よい機会でした。入り口の駐車場のところ、またまた新しい建物がほぼ完成していました。「鬼の城山ビジターセンター」だそうです。使われなかった隣の建物と同じ運命にならねばいいのですが?。できれば誰でも入れる、親しみやすいものにしてほしいものです。理想はいいのですが、入ってもあまりうる者がない?ということでは、トイレ以外誰も寄り付かない・・ことになりかねません。

展望台と化した『角楼』

 駐車場から進入路を入ると、まず目に飛び込んでくる角楼。版築工法で土を突き固めているのはいいのですが、上には広い人口広場が・・・。眺望のよい展望台と化していました。また版築工法を再現しているようなのですが、雨の多い日本でどれほど有効なのか?上には早くも水の道が出来つつあり、「そのうち崩壊??」の危険を予想させるように思いました。

西門はまだ工事中??

 完成していると聞いていた西門は、なぜか工事用フェンスが張り巡らしてあり、近づけないものになっていました。「前は下まで行けたのに。どうせなら、上に上れるようにしてほしい」と思うのは私だけでしょうか。そうなくても「こんなものをつくって」と批判する人が少なくない建物です。やはりみんなに中に入ってもらって雰囲気でも楽しめるようにすべきでしょう。少なくともあのわけのわからない文様の「盾」のようなものは撤去してほしいと思いました。

『版築工法』の無理

   西門のすぐ東側、当時の土塁を『版築工法』で再現していたところがありました。ところが、昨年の台風でいとも簡単に崩れてしまったのです。今はそのままの状態におかれていました。すこしずつ千本つきで突き固めるという、中国伝来のこの工法です。たしかに雨の少ない中国の城郭つくりには大きな威力を発揮したのでしょうが、日本ではどうなんでしょうか?現にこの鬼の城での土塁の残存率はわずかです。基礎列石(神籠石)や水門などの工夫でなんとかしようというのはわかるのですが、それでもその列石が表面に出てしまっているのではどうしようもないと思われます。「屏風折れの石垣」といわれる石組みが現代まで残っていることからも、日本には『版築工法』は適しない??と結論付けたほうがいいのではないかと思いました。
 たしかに古代の古墳の中で、『版築工法』で築かれた「中央レベル」といわれるものは、今でも墳丘が残り、そうでないものは、石室が露出してしまっているという『版築工法』効果も、場合によっては認められるとは思うのですが。ただ、日本の山城の土塁としては、『版築工法』はちょっと無理があるのではないか・・・というのが私の率直な感想でした。現に後世、戦国時代の山城は、ほとんどが石垣をベースに築かれているようなのです。

33観音石仏??ならぬ、その跡??

 

   私個人にとって今回のハイキングでの最大の収穫は、ここに「33観音石仏」があるということでした。ビジターセンターにあった地図に「三十三観音みちコース」というのがあったのです。
 「江戸時代、観音信仰のため、岩屋寺を起終点として形成されたのが三十三観音みちです。コース内には馬頭観音、岩切観音、千手観音など様々な観音像が行く道々に祀られ・・」
 鬼の城のなかにもそれがあるようで、途中の磨崖仏は千手観音で、「5番」と書いてありました。そのほか、いくつか石の祠が見受けられたのですが、いずれも石仏はなく、どこへ移動されたのか、不思議な光景でした。
 ただ、下の駐車場の向かいの山すそには、たしかにそれらしい石仏観音さんが鎮座されていました(写真右下)。

岩屋寺境内に33番ほか6つもの観音像。でもそれ以上に注目!!
 
   駐車場からずっと奥に行った岩屋寺。毘沙門堂と鬼の差し上げ岩があるところです。ここには、6ヶ所も「観音像とお大師像」がペアでありました。
 堂の左には33番ではありませんか。「岩屋寺を起終点として形成された」証拠のひとつです。
 でも今日は、この「鬼の差し上げ岩」が陰陽2つを表わしているのではないか??という話題で突如盛り上がり、ジ・エンド・・・・。た、たしかに見ようによってはもろ「陽根と陰なんとか」に見えますね???。これははたして新説なのでしょうか?。でも、古代の遺物はよくこんなことがあるもの、先月のレポート、「生石(おいし)神社」も同様でした。それでは皆様、また秋まで失礼します。(2005,4)

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