「趣味の古代吉備」のタイトルページへ戻る

鬼ノ城に小さな鍛冶屋さん
鬼ノ城大公開2009

 何と2年ぶりの鬼ノ城になってしまいました。2年前と同じく「鬼ノ城 城内調査大公開」です。

 今日は大公開の最後の日曜日でした。時間を確かめずに行ったものですから、午前午後それぞれ2回の公開で、午後の時間にまだ2時間半もあります。「一年ぶりだから(と勘違いしていました)、久しぶりに一周してみよう。お天気もいいし。」とばかりに歩き始めました。

新しい敷石群と・・・

 あれっつ、こんなものあったっけ!!。最初に遭遇したのは、西門から東へと続く敷石群です。土塁の上に延々と敷石が続いています。  整備した時を見ますと、2009年3月。どうやらこの春に整備されたみたいです。「ふーん、さすがに毎年変化しているということか?」と感心しながら、見慣れた道を東へ東へ。ここらは本当に景色のいいところです。絶景絶景!!!。

 今日の公開場所はたしか東門近くだったな・・・。とあちこちながめたのですが、この外周道路からは見えません。つずらおれの石垣の上にも立ちながら、北門方面へ。さすが日曜日、人が多いですね。「古代山城・・・」という名札をつけた団体さんもちらほら。あ、今日は足が軽いです。調子に乗って膝など痛めないように・・・。

 この調査は、岡山県古代吉備文化財センターが10年かけてやっているもので、10年前にあちこちとざっとした調査をして結果に基づいて、それらしい?ところを掘るというものだそうです。前回にはほぼ中心部の建物群跡を掘り、2棟の事務所建物(側柱建物)と5棟の倉庫(総柱建物)を確認して、多くの土器類なども見つかっています。(右写真)(前回レポートhttp://www1.harenet.ne.jp/~sugi/kouko/kinojyo3.htm)

 今回はそれからさらに東、城のほぼ東端あたりの発掘になっていました。7月から12月までの作業だそうで、今回はいわば中間発表といった性格のものでした。

小さな小さな鍛冶屋さんの跡でした。

 今回の目玉として、先日の新聞やテレビで報道されたものは、鍛冶跡でした。
 現場で見ますと、そういえばあそこの石が少し焼けているかな?う~ん、炭の層といわれれば、そう見えない事も・・・?
 1坪程度の一角がそうで、大量の金屑や、飛び散った鉄の破片などがみつかったそうです。またフイゴの吹き口のような穴の開いた土製品も見つかっていました。
 どうやら建物を作る時の道具や、土を掘る農具、もしかしたら少々の兵器など鉄製品の修理や製作が行われた場所ではないか・・・というお話でした。
 当時はこの総社市一帯で製鉄が行われた時期と重なり、ここでもそれを加工していたようです。
 それは「加治屋さん」というのがふさわしいようなもので、想像図でも、一人がフイゴで風を送り、もう一人がハンマーを振り上げているという絵が披露されていました。それにしても、この大規模な朝鮮式山城のなかでの作業としては、ごくささやかなものだということができますね。

謎の弓状列石と縄文遺物

 もうひとつは、大きな石が弓状に連なった遺構でした。小さな谷の下になっていて、一見水を溜めるためとも見えるのですが、すぐ近くに水場があり、どうも違うようです。目下のところ目的も時代も不明との事でした。「明治の頃の砂防跡」という説まで出て、う~~ん、だそうです。

 もう一つは、縄文時代の石鏃(せきぞく=矢じり)や、黒曜石のかけら、サヌカイトなどが見つかっていました。鬼ノ城のはるか昔、縄文期にもここに人の足跡があったということです。「今でも猪が出ますから、数千年前にも猪狩りをしていたのかもしれませんね。」とは係りの人の解説でした。

 いずれにしてもこの鬼ノ城、その巨大さにくらべて、生活感もないし、戦争の跡もなさそうですし、前回の調査でも、「よく言って50年程度しか使われなかった。」という実態が、今回の調査でも裏付けられつつあるようですね。(2009,9)

inserted by FC2 system