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鬼の城の小さな鍛冶屋さん、たくさん見つかりました。  

えっ、この前1軒の小さな・・・と言っていたのに・・。なんだかたくさん見つかって、現地説明会だそうです。で、駆けつけました。

「今度はおもしろいですよ!」

 と案内の方がおっしゃいます。といっても鬼の城の東の端、一番遠いところです。おまけにアップダウンがきつく・・・。やっとたどり着いたのは、9月のときよりもう少しむこうでした。
 見ると机の上にたくさんの出土遺物が並んでいます。

吹子(ふいご)の羽口(はぐち)が続々と

 「掘ればこの羽口が続々出てきました。鍛冶炉へ風を送った吹子の筒の先に、燃えないように着けられた土製の焼き物です。」なるほど、前回も1つ出てきた短い筒ですね。
 「吹子はどんな形だったか、想像するしかありませんし、この羽口まではおそらく竹の筒だったのでしょうが、それも残っていません。」と、前回見せられた鍛冶屋さんの想像図を見せられました。なるほどなるほど。

谷川の上の平地に、加治屋さんの集まりが

 現場に行く途中に「ここが池の跡だと思われます。」なるほど、今でも水が湧き出しているらしく、谷に流れて行っています。
 「ここから流れる小さな谷川に沿って、そのすぐ上に鍛冶工房が作られています。鍛冶仕事には水が要りますからね。」そう、今回見つかった鍛冶屋さんは、2箇所6軒です。小さな小さな、直径はほんの60cmくらいの粘土で作られた炉のようですね。もちろん高熱で粘土が焼けて黒や赤に変色していますけれども。

鍬(くわ)、鋤(すき)、斧、鋸(のこぎり)などか

 何を作っていたのかという質問には「おそらく鬼の城築城に必要だった道具類でしょうね。鍬(くわ)、鋤(すき)、斧、鋸(のこぎり)などかと考えられます。鉄は貴重品で再利用されるため、製品がここに残っていることはありませんでした。」だそうです。
 わずかに「これは釘(くぎ)です。」と1cm角の錆びた釘が見つかったと示されました。

須恵器で7世紀ごろだと

 今のところ鬼の城は7世紀ごろだと思われていますが、今回の鍛冶工房跡からは、同じく7世紀ごろの須恵器が見つかり、それを証明する形になったと言われていました。

イノシシさん、ありがとう

 「どうしてここが工房あとだとわかったのですか?」という質問もありました。「十年前の試掘でいろいろ見当をつけて今回調査をしているのですが、今回の一箇所は、イノシシが掘った土の中から羽口らしきものが顔をだしていました。それで掘ったら続々・・・」発掘も幸せなことがあるのですね。イノシシさんありがとう。(2009,12)
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