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鬼の城にダムが!!

 今年の夏は記録的な暑さでした。130年ぶりの暑さとか、岡山の8月は全国で最高の気温だったとか、いろいろ取りざたされているのに、何と「鬼の城(総社市)でダムが見つかった」という大ニュースが飛び込んできたのです。夏バテなのにどうしようかなー。とおもっていたら、幸い台風が山陰沖を通るとか。少しは涼しいかな?と淡い期待を抱いて出かけたのでした。でも、暑かったです。
 あ、なぜか空気が澄んでいて、瀬戸内海から四国の山々まで見えていたこの日でした。

水門の内側にため池。その堤防の土手状遺構

 おそらく7世紀に造られた鬼の城は朝鮮式山城で、山頂付近を鉢巻のように、ぐるっと土塁や石垣で取り巻いています。その長さは約2.8キロ、囲まれた城内面積は30ヘクタールあまり、岡山市の桃太郎スタジアム15個分の広さだそうです。
 当然雨が降れば水が溜まるわけです。そこで、低い東南側の谷筋の城壁に、石垣を築いて中央に穴を開け、その水を排水する設備(水門)が6箇所にわたって設けられています。1300年経った今でも水が出ていて、その役割を果たしている水門も少なくありません。
 ところが今回その一番北側の第5水門(右写真)のすぐ内側に、谷をせき止める形で大きな土手が見つかったのです。
 長さは30m、底の部分の幅は10m以上、地山からの高さは2.2mの土手、というより立派なダムですね。残念ながら中央部が壊れているようでしたが。

 これで谷から流れてくる水をせき止めて池を作り、飲料水にしたり、集中豪雨で水門が壊れるのを防ぐ防災の役を果たさせたようなのです。
 土手は、版築という土を少しずつ盛って搗き固める、大きな古墳などと同じ工法が取られ、両側には石垣が築かれていたのです。
 これはほかの6つの水門の中にもあった可能性が期待されますね。鬼の城って、なんだかますます大きなものになってきたように思います。

 今回周辺で地形調査のトレンチも掘られていました。それによると、下部に平安時代の火をたいた遺構や、その下にも同じような遺構がでていました。別の場所では弥生時代の遺構も見つかっていて、どうやら鬼の城、永い間にわたって人々の活動が行われていたようですね。

「第0水門」とは?

 今回の資料を見てみますと、西門のすぐ東に「第0水門」と書いてあります。あれっ、そんなのってあったっけ?不明にして私には最初でした。
 問い合わせてみますと、「平成12年の総社市教育委員会の調査で確認されています」とのこと。そうだったのですね。2001年1月の山陽新聞には「『総社・鬼ノ城 新たな水門跡22年ぶり発見』という記事もあるようでした。
 し、失礼いたしました。 それで「第0水門」という名がついたのですね。(2010.9)

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