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謎は益々深まって・・・
鬼ノ城最後の大公開

 謎の鬼ノ城城内調査大公開が、2011年晩秋の一週間開催されました。2日目に行ったのですが、平日にも拘らず10数人が集まり、熱心に見学しました。
 今からおそらく1300年前に作られたと見られる朝鮮式山城の鬼ノ城、中央の文献に記録がないため「謎の城」とされています。

「厨房」跡か?

 最初に案内されたのは、中部の礎石建物群のあったところから少し西、五年前に大量の土器が見つかったところの隣でした。「ここにも何か?」と見当をつけて掘ったところ、柱穴や焼けた穴などが発見されました。また火をたいたあとが時期を区切って4箇所発見されていました。これはもしかしたら鍋をかけて調理をしたあとなのかもしれません。時代をかけて少しずつ移っている様子など、古代の厨房跡??などと想像してしまいました。
 お隣の五年前に大量の土器が見つかったところが「食堂跡?」とすると、見事に符合するのでは?などとは勝手な想像でしたけど。

二つ目のダム遺構

 一昨年に第5水門上に見つかったダム(土手状遺構)と似たものが、今回第3水門の上に見つかっていました。長さ20m以上、高さ2mのえん堤が見つかっていました。前と後ろに石垣を築き、その間に土を入れた幅6mのものです。上流は湿地帯になっていて、かってはため池だったのかな?と思いました。帰路にため池が見え、えん堤がありました。そっくりだなと思いました。
 えん堤の幅は6m。これは2年前に見つかったものや、鬼ノ城をぐるりと取り巻く城壁土塁と同じだそうです。設計思想が同じなのかもしれませんね。  えん堤(土手)の上に立って、古代に思いをめぐらせてしまいました。

最後の大公開

 岡山県古代吉備文化財センターの鬼ノ城調査も今回でいちおう打ち上げとか。そのなかで全国の朝鮮式山城にはない鬼ノ城の特徴がいくつか浮かび上がっています。
 私は天智天皇時代の文献にある諸城とはちがい、岡山の鬼ノ城、大廻り小廻りの両城は、韓国各地にある「逃げこみ城」で、少し古いものではないかと思っているのですが、さてどうなのでしょう?
 担当の方は「調査の結果、ますます謎が深まったというのが率直な感想です。」といわれていました。また「東門のすぐ上の鍛冶工房跡は、今は鬼ノ城ゴルフクラブの下に沈んだ大きな製鉄遺跡跡のすぐ上ですし、その奥の礎石建物群も含めて納得できる配置になっています。」とも言われていました。
 ただの「新羅侵攻からの防御を目指した城」というよりは、生活に根ざした機能を持っていたのが鬼ノ城だというのがあっているような気がしました。(2011,12)

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