「趣味の古代吉備」のタイトルページへ戻る

2500年前の2LDK!!
総社市北溝手遺跡発掘公開

 「弥生時代初期の大竪穴住居が出土」大きな文字が新聞に躍りました。
 梅雨明けからもう10日あまり、一滴の雨もないカンカン照り、連日35℃超の猛暑日が続くなか、総社市に出かけました。現場は総社市の東部、岡山県立大学のすぐ西隣、新しい道路の工事予定地です。さすが新聞の威力か、見学者でいっぱいでした。

直径10.8mの巨大竪穴住居

 水田の中を少しばかり掘り下げたところから出土したこの住居跡は、円形のほぼ80%が調査区にすっぽりと収まる、まことにおあつらえ向きの出土状態でした。建物の直径は10.8m。面積91.6㎡、畳だと56畳敷き、今の「2LDK」マンションの大きさに相当・・・にはちょっと笑えましたけれどもね。
 出土土器から弥生時代前期前半、つまり今から2300~2500年前の住居跡と想定されていました。このころの住居跡は県下で見つかっているのは、こことお隣の県立大(これは同じ村と考えられる)、そして岡山市の百間川沢田遺跡のみだそうです。そして直径10.8mとは、当時としては最大のものとか。普通の竪穴住居はほぼ5m程度だそうですから面積で4倍、すごいですね。

古代吉備文化の萌芽の時代の中心地のひとつか?

 ここは南隣の少し高い土地が当時の川に向かって下がっている、小さな坂のような地形に建てられていて、そのため後世に壊されずに遺跡として残ったのだそうです。  この遺跡のお隣では岡山県立大の建設時に、同じ弥生初期の竪穴住居が3つ見つかっていて、1つはやはり直径が10m超とか。これらはほぼ同じ村だったと考えられ、弥生時代初期にこのあたりに相当有力な「ムラ」が存在したことが考えられるようです。

 ここの少し南には、弥生末期の全国最大の墳丘墓、「たてつき遺跡」があり、その後の古墳時代へとつながっていきます。どうやら今回の発見は、古代吉備文化の萌芽の時代、ごく初期の時代の遺跡を見つけたことになりそうですね。そういえばすぐ北には「鬼の城」が鮮やかに望めてもいました。

焼けた柱がそのまま出土

 解説しておられた美女がもったいぶったように覆いを取ると、黒いものが現れました。建物跡の円形の掘り下げの中に、円く転々とある柱穴あと。どれも黒く、この建物が火災で焼失したことを物語っているようですが、なんとその柱の一本が燃え残っていたのです。
 黒いその燃え残りは、炭化したために残ったのでしょうか?こうした遺跡では非常に貴重なもので、柱穴ではなく、柱そのものの大きさを証明するものになっています。Cなんとか年代測定も出来るのでしょうか??期待が膨らみます。

ずっと人の居住跡が

 この遺跡では、同時に弥生中期の竪穴住居3軒、墓1基、土こう14基、弥生後期の用水路、弥生~古墳の水田跡、中世(鎌倉期)の田畑などが発見されていて、近くの少し高いところには縄文の遺跡もあり、どうやら人がずっと住み続けていたようです。「すぐ上に現代の田んぼがあり、長年削り続けられています。そのなかでは今回の場所は非常によく保存されていてよかったです。」
 う~ん、やはりこのあたりは弥生初期に拠点集落があった後の時代も、おそらく千年にもわたって古代吉備を支え続けてきたのでしょうね。

土製のペンダントも

 遺跡の中からはさまざまな土器のほか、土製のペンダントや、昨年の発掘で分銅形土製品の祖形とみられる土製品などが出土していて、2000年前の生活の様子がうかがい知れるものとなっているようでした。(2010,7)

inserted by FC2 system