平家蟹さんの古墳見て歩記(岡山編1)

 これは、考古学界の山頭火こと平家蟹さんが、1997年の夏から秋にかけて、パソコン通信NIFTYの会議室にアップされたもののうち岡山の部分を、ご本人の承諾を得て転載させていただいたものです。尚、見出しや構成、顔グラフなど1部変更させていただいた部分もあります。

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楯築遺跡と王墓の丘

 倉敷市にある楯築遺跡周辺で遺跡公園(王墓の丘史跡公園)が出来ていました。
王墓山地区(王墓山古墳及び家形石棺:県史跡),楯築地区(楯築弥生墳丘墓:国史跡),赤井堂地区(白鳳寺院の日畑廃寺跡:市史跡)の3ヶ所です。前2者には小さな駐車場もあります。
楯築遺跡王墓山古墳家形石棺
 又公園内に石室が露出した古墳が多数有り,公園の入口近くに案内板があり,古墳の側にも名札が立っているので見学は容易ですよ。殆どの石室は天井石が失われていますが真宮6号墳(石室長11m),西山2号墳(公園外)は石組がはぼ残っていてなかなか立派なものです。周辺の住宅地内にもいくつか古墳が残っています。

真宮古墳群6号石室外観(王墓丘)西山古墳群石室外観(王墓丘)

造山古墳及び作山古墳


造山古墳(34°40′14″N 133°45′25″E)

 岡山市新庄下にある全長350mの巨大古墳です。東に開ける平坦な谷状地形のほぼ中央に位置していて周りが水田ですからよく目に付きます。墳丘は北東に延びる尾根を削って作っているようで前方部と尾根の間に切断した跡が明瞭に見て取れます。だから造山と言うよりは削り山と言った方がぴったりですね(でも削り山古墳というのは聞いたことがないですね。)
南東側に集落があって墳丘が少し削られていますが全体によく残っていて特に北側には三段築成や造出がはっきり判ります。前方部の南側隅から上に登って行くと神社があってこの側に阿蘇凝灰岩製の刳抜式石棺の身の部分がありますが,これはここから出土した物ではないようです。上には殆ど木が生えてなくて後円部まで見通すことが出来ますがさすがに広いですね。後円部上部には階段状に物や土塁のような物があって変形の跡が見て取れますが,秀吉の高松城攻めの時の陣跡だということです(ちなみに高松城も前方後円墳の上に立っているという説もあります)。
 丘陵残部上に1号(榊山古墳),4号が,その北側に2,3号があります。2,3号は如何にも丘を削ったという感じの墳丘です。1号からは馬形帯鉤が出土しています。さらに南側に全長70m の前方後円墳千足古墳(5号墳)があります。
 前方部は低く短い長方形で柄鏡式に近い形です。後円部頂に直弧文で有名な石室がありますが現在水浸しで中を見ることもできません。さらに南側の丘陵斜面に6号墳があります。造山古墳とこれらの古墳群は一括して国の史跡に指定されています。なお造山前方部西側にアルミ製の古墳群の立体模型がありますが単純な分布図より全体の状況が把握できていいですね。でも高くつくんだろうなー(欲しいなー)。

 造山古墳北西丘陵上にも小造山古墳,夫婦塚,銭瓶塚古墳等の中規模前方後円墳や円墳が幾つもありますが,見学はあきらめた方がいいです。時間ばかりかかって墳丘にたどり着くのがやっとで,はっきり言って後悔しました。

作山古墳(34°39′44″N 133°46′21″E)

 造山古墳の西約3km,総社市三須にある全長285mの巨大前方後円墳です。こちらも丘を整形して作られていて前方部側に残丘があり前方部との間が大きく断ち割られています。この残丘はあまり大きくないので完全に削平したほうが墳丘の見栄えがよくなると思うのですが何故残したのでしょうね,陪墳もないし。しかしこのおかげで現在の天皇陵に見られるような前方部側から祭祀を行うということはないと思われます。
 ここも墳丘南側に集落がありますが,墳丘の残り具合はよいようで,三段築成や造出もよく観察できます。測量図を見ると後円部が真円でないのは元の丘が少し小さかったせいでしょうか。かっては埴輪片がよく出たそうですが殆ど持ち去られて(あまり他人のことは言えないけど)現在は殆ど見つけることは出来ないそうです。墳丘に松が密生していましたが現在は間伐されていて特に南側から巨大な墳丘がよく見ることが出来ます。


吉備路の古墳の紹介

 吉備路の古墳の紹介です。造山古墳と作山古墳の中間に辺り,備中国分寺や 国分尼寺跡があり,春先は菜の花が咲き乱れますからその頃行くのが最高ですね。


(総社市)

こうもり塚古墳(34°39′49″N 133°47′19″E)

 国分寺の東方にありR429からもよく見えています。全長100mの前方後円墳で墳丘もよく残っています。細い尾根を利用して作られていて後円部がまん丸なのに比べて前方部が細長く後期の前方後円墳としては細長い感じです。後円部南側に全長約20m 玄室長8mの横穴式石室が開口していて羨道には入れますが玄室は鉄柵で閉鎖されていて中を覗くだけですがその大きさは実感できます。内部に地元産の貝殻石灰岩(浪形石)の刳抜式家形石棺が置かれています。蓋の一部が欠けていますが保存状態は良好。他に陶棺の破片も出土しているそうです。国史跡。

江崎古墳(34°39′51″N 133°46′50″E)

 江崎の集落北側の丘中腹にあり,案内板もありますから行くのは容易です。全長45m の前方後円墳ですが後円部に比して前方部は山側にあって地形を利用して作っているのであまり目立ちません。ここも後円部に全長13.5m 横穴式石室が西に開口していて羨道は埋まっていますが玄室には入ることが出来ます。玄室に入っていく階段の下に閉塞石が残っています。ここにも貝殻石灰岩の刳抜式家形石棺があります。墳頂から玄室天井までをぶち抜いて明かり取りの窓が付けられています。見学者の便を供するのはよいのですがちょっとやりすぎのような気がします。それとも発掘か何かで出来た穴を利用したのかな。県史跡。

(山手村)

宿寺山古墳(34°39′32″N 133°47′09″E)

 国分寺南方,宿集落の西側にある全長190mの前方後円墳ですが,R429によって後円部がかなり削られていますが,前方部は2段築成の様子がよく分かります。周濠が検出されていますが現在の地形には反映されていないようです。村史跡。

西車塚古墳(34°39′36″N 133°47′05″E)

 寺山古墳の北側,平坦地にある全長32m の前方後円墳です。墳形は比較的よく残っていますが高さが低く後円部が墓地で前方部が参道のようになっているからその気になってみないと前方後円墳と判らないかも知れません。
すぐ東側に円墳の2号墳があります。

角力取山古墳(34°39′22″N 133°46′34″E)

 作山古墳南方の小丘陵上にあるこの辺では珍しい方墳です。大きさは一辺30*37m,高7mで周りの水田から見てもよく目立ちます。この変わった名前はここで奉納角力でも行われたためでしょうか(勝手な想像ですが,こういう例が他であったもので)。すぐ脇に持坂20号墳の横穴式石室(天井無し)が移築保存されています。村史跡。

平家蟹さんの古墳見て歩記(岡山編2)へ続く

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