平家蟹さんの古墳見て歩記(岡山編3)

 これは、
考古学界の山頭火こと平家蟹さんが、1997年の夏から秋にかけて、パソコン通信NIFTYの会議室にアップされたもののうち岡山の部分を、ご本人の承諾を得て転載させていただいたものです。尚、見出しや構成、顔グラフなど1部変更させていただいた部分もあります。

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山陽町赤坂町備前市長船町牛窓町の古墳の紹介です。

山陽町 西高月古墳群

岡山市内から県道27号を北上すると山陽町の盆地状の地形の西側山際に5基の前方後円墳からなる4C末~5Cの古墳群です。現在盆地の真ん中に高速道が走っていて景観を著しく損ねているのが残念。


両宮山古墳(34°44′11″N 134°00′17″E)

 山陽町穂崎,県道27号のすぐ北側にある全長190m,後円部径104m,高21.7m 県内第3位の大型前方後円墳です。墳丘の保存状況もよく両側に造出も残っていますが全体が森になっていて墳丘上に行けるのは前方部にある神社までです。
ここに説明板が立っていますがこちらは両宮山古墳群となっています。この説明板の位置も別の位置にした方が多くの人に見て貰えると思いますが(こういう例はよくありますね)。廻りに広い周溝があって現在南側に堤防があり北側を除いて水が貯まっていますが古墳が緩斜面に位置していますから本来は水は貯まっていなかったんじゃないでしょうか。北側に陪墳の茶臼山古墳があり径20m の円墳ですが前方後円墳集成ではこれも前方後円墳となっています。両者とも国史跡。

森山古墳(34°44′05″N 134°00′28″E)

 両宮山古墳の県道を挟んだすぐ南東側水田の中に位置する全長85m の帆立貝式古墳です。廻りが開けていて墳丘も畑ですから廻りをぐるっと回って観察できます。墳丘の保存状況も比較的よく周溝の跡も地割りとして残っています。前方部は低く平らで大きめの造出と行った感じですね。

廻山古墳(34°44′06″N 134°00′38″E)

 森山古墳の東側,水田の中に位置している全長45m の前方後円墳ですが墳丘の改変が著しくとても前方後円墳とは見えません。県史跡。

朱千駄古墳(34°43′48″N 134°00′06″E)

 盆地の南側山麓,阿部に位置する全長65m の前方後円墳ですが,現在南側に溜池があり、その堤防のようになっています。名前の由来は明治時代の盗掘で大量の朱が出土したことによります(すぐ想像はつきますね)。又後円部から出土した竜山石製の組合式長持ち形石棺が県立博物館に保存されています。県史跡。(写真奥、手前は八幡大塚古墳朱塗り石棺=岡山市児島半島にあった古墳、消滅)

小山古墳(34°43′50″N 134°00′42″E)

 朱千駄古墳の東方,盆地南側の火打山麓に位置する全長53m の前方後円墳です。後円部に神社があり前方部が参道になっている以外墳丘の保存状況はよくシンプルな形が良く見えます。神社の建物背後に阿蘇石製の舟形石棺の破片があります。破片ですが特徴のある蓋の丸みや両端の縄掛け突起が見えています。すぐ近くにある同規模の朱千駄,小山古墳の石棺の違いが興味深いですね。なお火打山を越えた南側麓(瀬戸町)に玉井丸山古墳があります。墳丘上に郷土資料館などの建物があって変形が著しいですが全長137mの前方後円墳です。
 「日本の古代遺跡(岡山)」には載っていますが「前方後円墳集成」には載っていません。

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山陽町 岩田古墳群

 両宮山古墳の北側に山陽団地がありますがここにはかって横穴石室を主体とする14基の古墳群がありましたが,現在は2,14号のみ保存されています。


 2号(34°44′39″N 134°00′32″E)

一辺20m,高1mの方墳,そばに説明板有り。

 14号(34°44′57″N 134°00′39″E)


後円の一角に墳丘が復元され天井石が無くなっていますが片袖式の石室が開口しています。玄室入口は柵があり内部も木材で補強され中にはいることは出来ません(もし開いていてもこのような石室はちょっと入るのは怖いですね(^^;)。長5.5m,幅2.6m,高2.7mの玄室には木棺の痕跡が7棺も確認されたそうです。

吉原6号墳(34°46′30″N 134°00′22″E)

 山陽団地を北に抜け県道250号を北上すると赤坂町との境にある溜池の南側にある全長52m の前方後円墳ですが林の中にあって墳形は確認できず。

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赤坂町

鳥取上高塚古墳(34°46′37″N 134°00′28″E)

 上記溜池の北側,堤防脇にある全長67m の前方後円墳ですが前方部は低く全体の墳形もはっきりしません。後円部の堤防側に石室が開口していて羨道は低くかがんで入らなければいけませんが、玄室は以外と大きく長7.7m,幅2.7m,高2.6mの大きさです。羨道の一部はは堤防の下に埋まっているようです。なお「日本の古代遺跡(岡山)」では鳥取高塚古墳となっています。町史跡。
北側の畑の中に陪墳があって墳頂に箱式石棺が露出していましたが,現在は埋め戻されています。畑にいた人の話では以前発掘中に祟りのようなことがあって埋め戻したそうです。他の古墳でも似たような話を幾つか聞いたことがありますが私自身は多くの石室には行ったにも関わらずこのような経験はありませんね。不信心のせいか,それとも単なる鈍感なのか。最もこんな経験があったら石室など怖くて入れませんけどね(^^;)。

二塚古墳群(34°46′49″N 134°00′15″E)

 鳥取上高塚古墳の北西500mの所にある古墳群です。低い小さな丘の上にありますが古墳群といっても小型の前方後円墳2基だけです。東側の1号は比較的保存状況はよく前方後円墳とわかりますが西側の2号は墳丘が確認できる程度です。

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備前市

丸山古墳(34°43′15″N 134°07′26″E)

 香登駅南方,鶴山山頂にある径60m の古墳です。南側麓に石碑と説明板があってここから登ることが出来ます。載頭円錐形の円墳で墳頂はだだっ広く石碑が建っているだけ、墳丘斜面は林になっているので古墳という感じは全然しません。
墳頂に竪穴石室があって内部に特異な彫刻をした刳抜式家形石棺が納められていますが,現在は埋められていて全く見ることは出来ません。ここから鏡が三十数面出土しています。国史跡。

天神山古墳

 丸山古墳から南側の山を越えた麓の独立丘陵にある古墳です。全長110mの前方後円墳といわれていますが,前方部が細長く端に向かって傾斜しているところから円墳の可能性が強いようです。竪穴石室から舟形石棺が出土しています。市史跡。(

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長船町

花光寺山古墳(34°42′28″N 134°06′50″E)

 天神山古墳から道路を隔てたすぐ南東に位置する全長110mの前方後円墳です。行政区が別になっていますが本来同じ丘陵上にあるペアの古墳です。

 墳丘の保存状況は良好ですが竹林に覆われていています(竹の子がよく出る(^^))。盗掘で長持ち形石棺の祖型といえる石棺が出土していますが現在は現地に埋め戻されています。丸山,天神山と共に前期の古墳として重要です。県史跡。

舟山古墳(34°43′26″N 134°06′40″E)

 吉井川左岸,新幹線脇の独立丘上にある全長60m,後円部径32m,前方部幅52mの前方後円墳で,前方部の発達した後期の前方後円墳です。丘の周辺が土取りで削られていて墳丘部分がかろうじて残っています。古墳に上るのは困難。

木鍋八幡宮古墳群(34°41′17″N 134°06′56″E)

 勝手命名。花光寺山から平野を隔てた南側の山の麓宮下に木鍋八幡宮がありこの裏がグランドになっていてそこから山に登ると山頂辺りに2基の古墳があり西側の古墳に短い張り出しがついています。帆立貝式古墳又は造出付き円墳でしょうか。墳丘は大きく盗掘を受けています。北側の斜面にも数基の小円墳が分布しています。

土師茶臼山古墳(34°41′28″N 134°07′30″E)

 八幡宮前を流れる千田川沿いに東に行くと南側の山の中腹にある墓地に古墳があります。片袖式横穴石室が開口していてまるで一つ目小僧のような感じで睨み付けています(これは実感です(^^;)。
この前の道を何度か通りましたが前方に見える牛文茶臼山古墳に気を取られたせいか全然気づきませんでした。一応牛文茶臼山の西にあるという事で土師茶臼山としましたがこちらは前方後円墳ですから多分違うでしょうねm(__)m。

牛文茶臼山古墳(34°41′27″N 134°07′48″E)

 現在長船中学校東側の丘の上にありますが,本来南に伸びる尾根の先端に位置する全長55m の帆立貝式古墳です。墳丘は良好,主体部は竪穴式石室ですが現在は見ることは出来ません。町史跡。

油杉山古墳(34°42′27″N 134°08′20″E)

 牛文茶臼山から県道381号を北上すると大きな工場があってその裏山麓近くの斜面ににある全長32m の前方後円墳です。小さな神社背後にあり藪の中ですが前方後円墳とわかる程度には残っています。主体部は横穴石室だそうですが全くわからず。

西須恵築山古墳(34°40′34″N 134°08′25″E)

 牛文茶臼山から南側の桂山をぐるっと回って県道39号に出て西に行くと左側の山裾に西須恵築山古墳の墳丘が横たわっているのが見えます。全長82m の前方後円墳で現在ほぼ裸の状態でよく観察できます。後円部の一部が削られている他は良好、2段築成ということですが尾根を削って作ったせいかあまり築成は目立ちません。
後円部上に二上山凝灰岩製の家形石棺があり蓋の一部が割れていますが全般に良好で丸い縄掛け突起も4個ついています。周りに石組みがありますがこれは竪穴石室でしょうか。

桂山十二乢古墳群(34°40′55″N 134°08′20″E)

 築山古墳の側に説明版とこの古墳群の案内図があります。これに従っていくと(ちょっとわかりにくいが(^^;)焼却場(だったか浄水場だったか記憶が曖昧)の背後に遊歩道沿いに1,2,4号(3号はどこじゃ(゚゚ )( 。。))があります。
  墳丘はかなり流れ去っていますが無袖式の小型横穴石室が開口していて中に入ることが出来ます。3基ともほぼ同規模で径11~12m、石室長5~6mです。

 写真左から、4号墳丘、奥に2号。1号玄室。2号玄室。

西谷一号墳(34°40′50″N 134°08′06″E)

 こちらも案内図に従って行くと上記古墳群の下方、林の中にあります。こらは墳丘、石室とも良好でやや規模も大きいようです。石室は無袖式ですが壁の一部に出っ張りがあって羨道と玄室を区別しているようです。又奥に向かって右側の壁は垂直に立っているのに、左側は少し内側に傾斜しています。

亀ヶ原大塚古墳(34°40′19″N 134°07′15″E)


 西須恵から邑久町に抜ける峠に亀ヶ原の集落があり手前の竹林の中にある全長40m の前方後円墳です。南側の後円部に片袖式石室が開口していて全長7.8m,玄室長3.4m幅1.45m高1.75mと結構大きなものです。なおここで後円部と書きましたが「前方後円墳集成」ではこちらが前方部となっています。しかしどう見てもこちらが後円部に見えるけどなー(?_?),北側の墳丘は低いからさらに大きな石室があるとも思えないし。
  道路を隔てた東側に全長40m の前方後円墳金鶏塚古墳があります。名前のわりには現状は哀れなものでくびれ部は切断され前方部は祠があり後円部は薮に覆われその気になって見ないと判りません。平野を望まない峠で特に交通の要衝と言うわけでない場所に有力な前方後円墳が2基もあるのが不思議です。

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牛窓町

平野のほとんどない牛窓湾を囲む山の上に5基の前方後円墳があってまさに海を基盤とする4C末~6Cの古墳群です。しかし古墳を見るという観点では現状はちょっとがっかりしました。

天神山古墳(34°36′45″N 134°10′09″E)

 町の東側本蓮寺の裏山にある全長90m の前方後円墳です。古墳群の中では一番古いようで自然地形を利用した墳丘は保存状況は良好ですが全体像は見にくいです。町史跡。

波歌山古墳

 町の中央工場敷地内にあった(過去形で書かなければならないのがつらい)全長60m の前方後円墳です。保存協定が結ばれたにも関わらず土取りによって一方的に破壊されました。しかしその跡を利用している形跡はなく邪魔者は消してしまえといった感じです。(`_´メ)

鹿歩山古墳(34°36′40″N 134°08′51″E)

 町西側鹿歩山山頂にある全長84m の前方後円墳です。山頂近くに駐車場があってその北側に古墳がありますが薮に覆われていて墳丘は全く見えません。
 細い道とも言えない道があって何とか後円部頂(多分)にたどり着くのが精一杯,石の祠があったので賽銭を置いて帰りました(額は内緒(^。^;))。
 駐車場南側の畑の中に円墳があって崩れかけた横穴式石室が覗いています。

黒島古墳

 牛窓湾口に浮かぶ黒島にある全長70m の前方後円墳ですが行くすべが無く鹿歩山から眺めるだけ,何となく前方後円形をした森が見えるのがそうかな。

二塚古墳(34°35′56″N 134°08′11″E)

 湾の西側二塚山山頂近くにある全長55m の前方後円墳です。すぐそばまで車で行けますが墳丘は目立たずよく注意しないと判りません。後円部に横穴式石室があり天井石が露出していて,奥壁側の隙間から内部に入ることが出来ます。半ば土砂に埋まっていますが片袖式の石室のようです。  

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