平家蟹さんの古墳見て歩記(岡山編6)

 これは、
考古学界の山頭火こと平家蟹さんが、1999年の春から夏にかけて、パソコン通信NIFTYの会議室にアップされたもののうち岡山の部分を、ご本人の承諾を得て転載させていただいたものです。尚、見出しや構成、顔グラフなど1部変更させていただいた部分もあります。

「趣味の古代吉備」のタイトルページへ戻る

北房町の古墳の紹介です。

 岡山県内陸部、津山周辺の古墳の紹介です。まずは東側美作町から。
なお行ったのが89,95年と古く、現状と違っていたら御勘弁をm(__)m。
実際この2回の間でも大きく違っている場所もあります。


北房町

大谷古墳(34°56′10″N 133°37′37″E)

  町役場南方2.4km R313沿いに大きな看板がでています。そこから西に専用道路(でしょうね)を行くと突き当たり右側に石垣積みの大きな墳丘があります。見通しの悪い谷奥の南側斜面に築かれた方墳です。
 墳丘は5段積みで7C後半の時期としては全国的にも非常に珍し い古墳です。石積みは1,2段目は前面のみ、3段目は背後が4段目と共有、4,5段目だけが全集しています。大きさは1段目で東西23m、3段目で11×10m 程です。3段目南側に石室が開口、全長6m玄室長6mの大きさ、この地方でよく使われる角礫岩の切石を使った両袖式で床 面には割石がしかれています。中から木棺と陶棺(資料館に展示)が 検出され、双竜環頭太刀、金銅製品、鉄斧、鉄鏃、須恵器などが出土、 前の二つは役場1階のロビーに展示しています(県文化財の認定証付き。初めて見たね、こんな物)。県史跡。
 国道の看板側にむき出しの石室のような物があるがこれは何だろうか(?_?)。町の古墳分布図には載っていないし、北向きというのもちょっと おかしいし、でもどう見ても石室のようだし。

定古墳群(34°56′15″N 133°38′04″E)

大谷古墳から川を挟んだ東側に有り、案内板もでています。丘の麓 近くにある5基からなる古墳群です。麓にあるのが定古墳、かって は前方後円墳と思われていましたが発掘の結果、2基の連接した方墳 と判明しました。
 正式名称は定東塚・西塚古墳となっていて東塚、 定東塚等は略称です。東が大きく西が小さく、今見た感じでも前方 後円墳のようです。南側に石室が開口、共に割石を使った右片袖式 で角礫岩を使っているため表面がごつごつしています。規模は東石室 で全長11.6m、玄室長5.4m、高2.6m、西石室で全長11m、玄室長4.8m、 高 1.9mで墳丘の大きさ割には似たような規模ですが石の罪方は東の方が やや丁寧な感じ、また共に奥より玄門部の方が幅が広くなっています。
内部は泥で埋まっていましたが発掘で掃除されて見学しやすい(何故 か入り口部分は泥が残されている)。東で4基、西で6基の陶棺が 確認され他に馬具や太刀、金モールなどが出土しています。7C前半。 町史跡(4月10日に土地公有化)。
100mほど登っていくと定北古墳があります。斜面をカットして造られ た方墳で21×25m の規模で3重の列石が巡らされているそうですが 現状ではそれも見えず墳丘も円墳のようです。南側に両袖式石室が 開口、やはり角礫岩を使っていますが奥壁下部に白い巨礫がはまり 込んでいてまるで巨大な目に睨み付けられているよう、盗掘者も ちょっとびっくりしたんではないでしょうか。ここも4基の陶棺と 1基の木棺跡が検出されています。7C中。
さらに登っていくと4号墳がありますがわずかな高まりと石材の一部 が見えている程度であまり目立たない。さらに左手に登っていくと 5号墳がある(前回は楽に行けたのだが今回は倒木に阻まれてたどり 着けず)。小型の石室が露出しているが天井石が屋根形に加工されて いるのが興味深い。
町役場の近くのふるさとセンター内に資料館があり町内の出土物が 展示されている。地方のこの手の施設は中を見てがっかりすりことも 多いがここはお勧め、専従者がいないため展示が雑然としているが特 に定北古墳から出土した陶棺が目を引く。
 4基もあり、ほぼ完形、 間近に見ることができてすばらしい。以前近つ飛鳥博物館にも貸し 出していたそうだし、今年は専門家の方が大挙来るそうな。水、金曜 日しか開館しませんが役場の方に頼めば開けてくれるようです(私の 体験、場所を聞くために役場を訪ねたらしっかり案内してもらった m(__)m)。
 ただ大谷古墳のパンフ(B5版、表紙を含めてわずか8頁) が400円もしたのには驚いた。ま、入館料は只だし、いろいろ資料 をもらったからいいけどね。

下村古墳(34°56′45″N 133°38′07″E)

定古墳群から集落内の町道を北上し、山麓沿いの道を行くと案内用の 石碑があるのでそれに従って山側に入る。溜池そばの細長い尾根上に 立地、径25m の円墳で南側に石室が開口、全長12.3m、玄室長6.5mの両 袖式ですが左袖はブロック状に石が突き出ている。他の古墳同様ここ も角礫岩が使われていて全体に荒々しい感じがする。6C後半。町史跡。

立古墳群(34°57′07″N 133°38′39″E)

さらに町道を東に行くとまた案内石碑がありそこから南にはいる。畑 の中に説明の石碑があり古墳はそのすぐ前の林の中。2基の前方後円 墳からなり1号墳は全長90m の前方後円墳で尾根を利用して造られ 墳丘は割と良好、後円部が平野側に面しているためかなり大きく見え るが背後の前方部はそれ程でもない。くびれ部東側に竪穴式石槨が あった。5C。 すぐ南側に全長69m の2号墳がある。後円部はよく残っているが前方 部は墓地のため殆ど削平されている。

荒木城御前古墳群(34°57′28″N 133°39′06″E)

町道をさらに東に行くとまた案内石碑がありすぐ南側の細長い丘の上 にある古墳群で前方後円墳1,前方後方墳1からなる。東塚は全長45m の前方後方墳で前方部が細長く鉢状に開く古い様相を示すが現状は全体 が灌木に覆われ前方後方墳かなとわかる程度。3C末~4C初。西塚は 全長63m の前方後円墳で前方部があまり開かない古いタイプ。墳丘も よく残っていて疎林の中で全体像もよくわかる。後円部頂に竪穴石室が あるが現在窪地にわずかに石材が見えている程度。4C。共に町史跡。
P.S.北房町は中国山地山間の小さな谷中平野にある町ですが前期の古い 前方後円(方)墳があると思えば後期には特異な方墳が分布すると いうように大変おもしろ場所です。

inserted by FC2 system