平家蟹さんの古墳見て歩記(岡山編8)

 これは、
考古学界の山頭火こと平家蟹さんが、2001年の春から順次、パソコン通信NIFTYの会議室にアップされたもののうち岡山の部分を、ご本人の承諾を得て転載させていただいたものです。尚、見出しや構成、顔グラフなど1部変更させていただいた部分もあります。

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岡山市 総社市長船町 備前市 和気町 吉井町 岡山市2 熊山町 佐伯町 御津町、、 八束村の古墳の紹介です。

総社市

すりばち池古墳群(34°41′36″N 133°44′56″E)

総社北公園の建設に際して発掘され現在公園内の古墳広場として保存公開されているが現地には何の説明もない。南向きの斜面に幾つかの箱式石棺があり下の方に墳丘が復元されているがこれが1,4号だろうか。
総社の平野部を見通す谷奥に立地していたようだが現在は住宅がすぐ側まで押し寄せている。

金子古墳群(34°48′56″N 133°42′53″E)

方墳数基を含む前期の古墳群で年金休暇センター内に保存されている。
駐車場に園内の説明板があり古墳広場として載っています。丘頂部に2号墳がある。5Cの方墳で一辺17m、周囲に狭い周溝が巡っている。
高梁川を眼下に望む非常に見晴らしのよい場所です。下の斜面に6,7,8,9号があるが皆背の低い墳丘です。道路を隔てた西側に1号墳があります。一辺9mの小型の方墳ですが周溝が巡り中央に箱式石棺が露出しています。これは2号墳からやや離れていて危うく見逃すところだった。

日羽大塚古墳(34°42′53″N 133°41′29″E)

JR日羽駅北方約200mの所にある古墳です。丘陵斜面に立地、南側に石室が開口、全長約10m位の左片袖式で良好に残っています。玄室には三角持ち送りがあり床面には礫がごろごろしている。場所が全く分からず偶々聞いた地元の方に現地まで案内して貰った。感謝感謝。案内して貰わないと分からないような場所です。近くにも幾つか小型の石室があるそうです。

岡山市

石舟塚古墳(34°39′54″N 133°51′40″E)

吉備の中山東側の谷筋にある古墳です。山頂にある中山茶臼山古墳の後円部辺りから斜面を降りていくと古墳にたどり着くことが出来ます。側に今はない一宮町教育委員会の標柱が立っています。墳丘はかなり小さくなっているようで南側に石室が開口、無袖式で奥行き3m程度と小型です。奥に家形石棺があるが残っているのは身だけ、周りに礫が詰められています。石棺を入れると石室には殆ど余裕がないようです。蓋石はJR備前一宮駅のホームにありますが長軸方向に半分になっています。

宗形神社古墳(34°41′35″N 133°51′44″E)

吉備SA西方1.2km、南に突き出た半独立丘陵上にある4C後半の古墳です。社殿背後に墳丘があり径15mの円墳で箱式石棺がありますが埋め戻されていて見ることは出来ません。中から頭位を違えた男女2体の人骨が埋葬されていて勾玉や鏡の紐などが出土しています。

磯ヶ部古墳(34°41′42″N 133°51′34″E)

宗形神社北西300m、県道東側桃畑のある辺りで民家背後の墓地奥にあります。丘陵麓に立地する円墳で径15m、南向きに無袖式石室が開口、幅が狭く細長い石室です。奥に石棚がありますが石室前部が土砂で埋没し石棚と同じ高さになっているのであまり目立ちません。前後2枚の石ともう1枚小さな石からなっています。すぐ北側にも小型の石室墳があります。

青陵古墳(34°40′28″N 133°53′59″E)

前方後円墳ですが墳丘は消滅、板石を使った箱式石棺だけが青陵神社境内に保存されています。神社は国道180号に面していますが入って行くには反対側の細い道からしかなく車ではちょっと大変です。

八幡宮古墳(34°41′40″N 133°54′39″E)

市街地北側にそびえる半田山(ここにも古式の前方後方墳が幾つもあります)の更に北側、なだらかな丘陵に南側斜面にあります。溜池堤防の北側辺りで墳丘は流失横穴石室が露出していますが内部は殆ど埋没しています。

佐良池古墳群(34°41′41″N 133°55′09″E)

八幡宮東側の住宅団地内にあり古墳公園として4基が保存されています。ただ公園と言ってもまるで堀の中、古墳の位置が丸く表示されているだけです。側に説明板があるが完全に破壊されている。まだ新しそうなのだか。

奥池古墳群(34°41′41″N 133°55′16″E)

同じ団地東端谷奥にある4基からなる古墳群ですがここも位置が表示されているだけ。製鉄集団の古墳とのこと。

弥勒堂古墳

八幡宮西側の国道53号(旧道)を北上し栢谷から苫田温泉方向に入っていきます。温泉街手前の溜池東側の丘陵にあるはずだが麓に温泉の建物がならんでいて入っていく道が分からない。堤防の下辺りから入っていく道を見つけこれだと思って入っていったらぐるっとまわって元の場所に戻ってしまった。石棚を持つ石室墳なのだが。

宮山西塚古墳(34°40′32″N 134°03′59″E)

吉井川沿いの丘陵の南側麓に立地する径25mの円墳で良好に残っています。南側に石室が開口、全長13.5mと県内でも有数の規模だが細長い石室で巨大石室という感じはしない。羨道奥、玄門手前に家形石棺がある。蓋石は壊失し身が殆ど埋まっている。何とも中途半端な位置にあるがここに置いたのか奥に入らなかったか。玄室は長5.4、幅1.6,高1.8mとここも細長く袖幅の極小さい両袖式です。集落に入っていく道に案内板が出ています。市史跡。

長船町

牛文茶臼山古墳(34°41′27″N 134°07′49″E)

以前も紹介しましたが長船中学校裏山にある帆立貝式古墳です。下草が刈られ下からよく見えていて以前は全く気が付かなかった小茶臼山古墳もよく見えていました。共に墳頂が大きく盗掘を受けています。

キリギリス古墳群

茶臼山西方500mに横穴石室を平野部に向けた馬塚古墳があります。その南側山の中に石棚を持つ石室墳があるというので探索に出かけました。馬塚の側にある墓地の最上部あたりから藪をかき分けると下草の生えてない杉林になります。斜面には巨石がごろごろしていていかにも石室のある雰囲気。期待しつつ登っていったが古墳らしいのは何もなし、尾根上に背の低い古墳が1基あったが石室があるかどうか不明。結局見つけることは出来なかった、かなり近くまで行っていると思うのだが。

大塚古墳群(34°41′46″N 134°08′34″E)

茶臼山北東に大塚の集落があります。谷筋を入っていくと奥に溜池があります。この直前で道を左にそれると北側に墓地がありその背後に崩壊した石室が2,3基見えています。元の道に戻って更に東に行くとやや広い山道と交差する手前右側に古墳があります。
 石室が道と反対側に開口していてあやうく見逃すところでした。入り口はかなり狭いですが中に入れます。無袖式で羨道天井が一段低くなっています。玄室奥には殆ど埋まった箱式石棺が2基あります。更に道を東に100m程行くと右手に古墳がありますがやや離れているので冬場でないと見逃すかもしれません。ここも南側に石室が開口、羨道はかなり崩壊しているようですが残存長7,8m程度でこれが主墳でしょうか。無袖式で奥がやや狭まっています。開口部左側に箱式石棺が半ば埋まっています。他にもあるかもしれない。更に東にも行ってみましたがこれ以上は無さそうです。

備前市

池灘古墳(34°44′05″N 134°08′32″E)

新幹線が池の上を走っている大池という溜池がありこの堤防の少し北側の住宅地の中に古墳があります。径20mの円墳で背の高い墳丘が林の中に残っていて北側には周溝も確認できます。南側に石室が開口、羨道前面が壊失していますが他はよく残っています。巨石を使った両袖式で全長9.5m程です。市史跡。

和気町

稲坪天神山古墳(34°47′30″N 134°10′19″E)

JR和気駅東方1.5km、丘陵麓に造られた円墳で径15m程。墳丘は比較的良好に残っていますが南側が道路で削られ石室も羨道が壊失しているようです。玄室は小型の石材が使われていますが規模の割に幅が広いのが特徴です。側に標柱が立っていたようだが石室の中に投げ入れられていた。町史跡。

千畳田古墳群(34°49′36″N 134°10′06″E)

日笠川沿いの県道46号を北上すると橋の脇に小さな石の標識があります。相変わらずその後のフォローがありませんが橋を渡って正面右側斜面上に4号墳があります。南側に石室が開口、無袖式ですが天井が入り口側に向かって少しずつ低くなっています。奥壁は縦長の石を2枚並べています。天井ほぼ中央に大きな隙間がありその上に石をかける中高式の天井、岡山では唯一の例で因幡東部によく見かけるそうですがあちらに比べてかなり隙間が狭いです。この周囲に4基の古墳があるそうだが全く見つけることは出来なかった。
4号西側に墓地がありその西側斜面に6号墳があります。下の道からやや離れているのでよく目を凝らさないとわかりません。南側に石室が開口、羨道はかなりか遺失しているようですが全長9.5mと群中最大、閉塞石も残っています。奥壁も4号と同じ縦長の石2枚を並べています。 町史跡。

吉井町

仁軒屋1号墳(34°52′20″N 134°06′27″E)

国道484号から県道257号に入り約4km程。谷の中の斜面に立地した円墳で民家の脇に残っています。径十数mの円墳で南側に石室が開口、前面が少し削られているようですが無袖式でやや奥が広がっています。切石に近い石が使われ壁面がきれいに整えられています。町史跡。

岡山市

林原古墳群(34°43′25″N 133°57′49″E)

円墳6,7基からなる古墳群で旭川左岸の丘陵麓近くに立地しています。牟佐から県道81号を御津町方向に行くと林原の集落の中に表示板がありその道路直下に古墳があって石室が開口しています。左片袖式で割石を使った整った石室です。奥に三角持ち送りがあります。側の畑にいた人に他には無いかと聞いたところ無いという返事。そんなはずはないがと思って探したら3基も見つかりました。まず道路北集落西側の林の中に1基、墳丘南側が大きく削られ羨道が壊失、玄室は残っているが右側が崩れかかっている。更に東側民家裏の崖の上に1基、他と違い東側に石室が開口、一番大きな石室のようだ。墳丘が下側に崩れかかっているのだろうか石室が歪み一部側壁が飛び出していて危険な状態です。集落東端の家と家の間にもあります。石室が大きく崩壊し奥壁あたりがかろうじて残っている。

御津町

香雲寺裏1号墳(34°46′22″N 133°56′39″E)

県道81号を北上し国ヶ原集落に香雲寺の案内表示があり寺のやや北側にあり、山門南側に説明板がある。径11mの円墳で南側に石室が開口、全長7m無袖式に近く袖部に石が立てられている。土圧で側壁が少しはらんでいる。すぐ東側に2号墳があり入り口が見えているが内部は埋没している。寺の南側神社境内にも小さな古墳があります。

みそのお遺跡(34°47′36″N 133°54′45″E)

旭川にかかる葛城橋を渡って国道53号を北上し町役場の西方御津工業団地内にあった遺跡で弥生後期の集団墓地で古墳時代にも小古墳が造られています。団地内の小公園に15,50号が移築保存されています。
15号は一辺9m、3C末~4C初の方墳で上に3基の箱式石棺があります。50号は7C中の円墳で全長3mの小型石室が復元されています。

菅2号墳(34°48′00″N 133°54′48″E)

全長44m、前期の前方後方墳で工業団地北側の残された尾根上にあります。道はないが東側から登っていくと背の低い墳丘が良好に残っています。

虫名古墳(34°45′35″N 133°56′01″E)

国道53号に戻って南下し葛城橋から約1km南下すると溜池がありその東側の集落山沿いに説明板があり道案内ものっています。斜面をカットして造った墳丘で径9mの円墳で南側に石室が開口、全長6.5mの無袖式で奥が狭まっています。床面に礫が散乱しています。町史跡。

熊山町

弥上古墳(34°46′19″N 134°03′42″E)

JR万富駅から県道254号を北上し、熊山町に入ってすぐ道路が大きくカーブしている辺りにあります。全長30mの前方後円墳ですが後円部がかなり削られていて前方後円墳とは分かりにくい。西側平野に向かうように石室が開口、右片袖式で現存長9m程、割とよく残っていますが全体に北側に傾くように歪んでいて、特に左奥の側壁は孕んできていて奥壁の一部に重なってきています。中から木棺や陶棺が確認されています。

小丸山古墳(34°46′36″N 134°09′37″E)

弥上古墳から細い町道を北に下っていくと神社の少し先の墓地あたりに古墳があります。全長33mの前方後円墳ですが道路で南半分が削平され横穴石室も壊失しました。残った北側もかなり削られていますが何とか前方後円墳らしい姿を残しています。

佐伯町

新田山古墳群(34°50′42″N 134°05′26″E)

町役場西方1km、南北に伸びる半独立丘陵上にある古墳群で円墳4基からなるが現存3基、西側の平野から見ると古墳の存在がよく分かる。上は篠竹が密生していたようだが幸いなことに訪問時は伐採され墳丘がよく観察できた。3基とも上部が平坦で大きさの割に背が低い。中央の2号が最大で径35m、高3mです。

八束村

四つ塚古墳群(35°17′32″N 133°43′01″E)

蒜山高原にある盆地の北側、低い丘陵を利用して造られた19基からなる古墳群で現在16基が残存しています。南側にある1-4号が径30m程で大きく目立つことからこの名が付きました。1号墳は径27m、高4mの円墳で唯一石室が開口しています。平野と反対側の北向きに開口した右片袖式石室で玄室長5m、幅2m、高さ2.3mで平石を積み上げています。入り口に柵がありますが何とか中に入れる。谷を挟んだ北側林の中に13号墳があります。造出を伴う円墳で2基の箱形木棺が検出されています。1号とほぼ同じ後期前葉の築造です。内容が分かっているのはこの2基だけ。現在一括して国の史跡に指定され公園として整備されています。西側に蒜山郷土博物館(入場料300円)があり古墳群の模型や13号出土品、主体部模型が展示されています。

水別古墳群

四つ塚古墳群から東3kmにあった古墳群ですが現在1,2号の石室が博物館敷地内に移築保存されています。1号は2m程度の小さな玄室ですが袖石を使った玄門、ドーム状の玄室となかなか立派な物です。2号は天井が失っていますがやや細長く1号とはかなり違っています。


p.s.このページは、平家蟹さん2001年春のリポートです。

(注)平家蟹さんのHP、古墳のお部屋http://member.nifty.ne.jp/kofun/に写真が掲載されています


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