真備町東部の遺跡たち
ーー古代吉備を語る会にてーー

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心配された雨も上がり、今日はJR伯備線清音駅に来ています。第196回古代吉備国を語る会で「薗臣氏の本拠地を巡る」と題して、真備町東部(高梁川西岸地域)の遺跡を巡るためです。
でも今日はいつもと違い、私にも仲間たちがいるのです。このHPでおなじみの平家蟹さんが仙台から倉敷に来られたときとちょうど重なったのでお誘いしたのです。そして同じニフティーで知り合った森の熊さんも来られ、約100人の参加者のなかではありますが、3人の「ニフティー考古学会議室岡山OFF」が実現してしまいました。

応神天皇が五つの県に封じた氏族
  日本書紀に出てくる話として、「応神天皇が吉備で饗応された際に、吉備一族が5つの県に封じられた」というのがあるそうです。薗臣氏はその1つで、本拠地は下道郡曽能郷とされています。今日巡る真備町東部の岡田、川辺といった一帯を指すようです。
この地域は周辺を丘陵地に囲まれたまとまった平野で、1つの小地域をなしています。そのため、伊与部山弥生墳丘墓→古墳時代の中規模古墳群→岡田廃寺(白鳳期)へと時代をたどることが出来、薗臣氏という古代有力氏族をかさねながら時代がたどれる、古代研究には絶好の場所なのだそうです。
で、でも、この平野をぐるっと、、、かなり歩く距離はありそう。。。
なお、この地域のすぐ西には、後に吉備真備が出た「箭田」などの地域があります。

伊与部山墳丘墓と”いわくら”
  清音駅から高梁川を渡り、西岸土手をぞろぞろ北上、最初に着いたのは伊与部山というこの地域の北東端にある小山の山頂でした。ここには弥生時代後期の墳丘墓と1つの古墳(2号墳)があり、1966年に岡山大学考古学研究室が発掘調査したそうです。なんと、この「古代吉備国を語る会」主催の出宮さんも当時学生として参加していたとか!。
 墳丘墓には2つの石室と、配石墓がいくつかあり、「方形の墳丘に次々に増築して拡大していったようだ。」という説明がありました。眼下に今日のテーマの平野が一望でき、墳丘墓や古墳を築くには絶好の場所だなと思いました。
 それより私の目を引いたのは、すぐ隣の山頂にある大岩が露出した部分でした。文字通り巨岩で、風化のためいくつかに割れ、一部は転倒した様子が見て取れましたが、「ここで一番重要なのは、この”いわくら(磐倉)”だよ。」と説明される人もあり、見るほどに納得してしまいました。「この隙間に吉備の特殊器台がはさまっているのが、昭和30年代に発見されています。」との説明もありました。
 また「これは狼煙台だよ。」という人や、「昭和初期の陸軍大演習の本営跡」という立て札もありました。
 むむっ、”いわくら”といえば、古代日本のピラミッドをまつる場所??というお話はおいときまして、古代から祭祀などいろんな用途に使われてきた巨岩のようです。この伊与部山、あちこちに大きな岩が露出しています。山頂にも巨岩があり、長年の風雨で露出してしまったのでしょう。
 あ、この山で見つけたのは他にも。TVの放送中継アンテナ2基と、携帯電話のアンテナ。千数百年前に流行した古墳が作られた場所に、今はアンテナが林立する!!。人のすることは余り変わりがないのかも知れませんね。

 

薗臣氏の中心地、岡田廃寺
 伊与部山の南山裾をしばらく西に進むと「岡田廃寺」がありました。この平野の北部の少し奥まったところです。
 平野より一段高い広い台地のようなところでした。かってはここへ大きな伽藍が展開されていたのでしょうか?
 白鳳時代創建のお寺で、今は4つの礎石が残っているのみですが、当時の瓦が出土していて、これは「吉備式瓦」と言われ、備中地域の古代寺に広く分布する、少し派手な文様を持ったものだそうです。「吉備という政治的まとまりの最後の姿を示す瓦。」という説明でした。
 この廃寺には非常に古い大木があり、榎らしいのですが、まさか当時のものではないのでしょう?どうなのでしょうか?

  

竜王塚古墳
 平野地帯の西の丘陵沿いには、竜王塚古墳がありました。一辺20mという大型方墳で、五世紀と推定され、石室内からは刀剣など多数の鉄製品が発見されたそうです。
 「吉備では古墳時代前期に、100m~150mの前方後円墳がたくさん作られていますが、五世紀初の造山古墳の後には大型古墳の造営が止まっています。その間方墳やほたて貝式古墳などが作られていたのではないかと、、、。」

二万大塚古墳と、天狗山古墳
   この平野の南部には、高梁川の支流小田川が流れています。戦後にも氾濫の記憶をもつ暴れ川です。今日の最後はその小田川を渡って南の丘陵地帯にある二つの古墳を訪ねました。
 「二万大塚古墳」は約40mの吉備では数少ない後期の前方後円墳だそうです。前方部が後円部より高い、ちょっと変わった古墳です。
 平年より10日も早かった今年の桜。有名地では葉桜に変わろうという岡山南部ですが、この古墳の桜は今盛り、花吹雪のなかで一同桜も楽しみながらの古墳見学となりました。ちょうど岡山大学が発掘調査していたのですが、テントがかけられて石室内部は見せてもらえませんでした。
 最後に東南部の丘陵上にある天狗山古墳を訪ねる予定が、昨日の大雨で悪路になっていることと時間の関係で中止。はるかに「あれがそう!」と眺めることになりました。

 折角平家蟹さんをお誘いしたのですが、今日は石室に入る機会がなく残念でした。
 ということで、このあと倉敷駅前でOFF会(宴会)。新たに吉備武彦さんという仲間も加わり楽しい二時間でした。その場で「古代吉備ネットの会」とでもいうべき「会」を作ることで合意。ML(メーリングリスト)「古代吉備、歴史吉備」(仮称)の立ち上げが確認されましたが、はたしてどうなることでありましょうか?。(2002、4)

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