楯築遺跡、恩原遺跡、製塩土器ともりだくさんでした
 ~岡山大学考古学資料館一般公開から~

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 1999年5月29、30日に、岡山大学考古学資料館の一般公開がありました。岡 山大学創立50周年記念事業の大学公開の1つでした。
 「新幹線駅から歩いて行ける」数少ない大学ということで、学会なども多いこの大学 は、戦時中の兵舎跡の利用でキャンパスの広さも有名でした。青々とした木立に包まれ て、学校の建物が広がっています。もっともそのぶん新しい建物は少ないですが。  目指す「考古学資料館」は、西門正面の時計台(図書館)前を左に曲がり、少し奥ま った位置にありました。レンガ造りの伝統有る・・・といった雰囲気をただよわせてい ます。

 楯築弥生墳丘墓の『弧帯石』と『亀石』、『弧帯紋』

 受付を通って進むと、それほど大きくない1室にぎっしりと展示がされていて、10数 人の方達が思い思いにのぞき込んでいます。
 まず目についたのが、ひとかかえもあろうかと思われる大きな岩でした。見ると表面 に何やら線が並んでついています。10数本の平行した線が弧を描き、目玉のような模 様がいくつも現されています。「ははあ、これが『亀石』だな。」としげしげとながめ ました。『亀石』とは楯築遺跡(弥生時代としては全国最大の墳丘墓)近くの神社のご 神体として古くからまつられてきた大きな石で、この弧のような文様がいちめんにある ことから亀のような石といわれていたものです。
 お隣にはガラスケースに入った、なにやらばらばらの石を一つに固めて復元したよう なものがあります。どこかで写真でみたような気がします。係りの人に聞いてみました 。
 「これが亀石ですか。」
 『ええそうです。もっともレプリカですけれども。』
 どうりで、手で持ち上げられそうに、押すと動きました。

 『で、この隣にあるのが弧帯石です。これは実物です。楯築遺跡の棺の上にばらばら に砕いた状態で置いてありました。集めて復旧してみますとこうなったのです。亀石の ミニチュア版でしょう。当時は本物はまつっておいて、ミニチュア版をつくってそれを ばらばらに壊してお墓の上に置いたのですね。』
 『この亀石も長い事いつごろのものかわからなかったのです。普通江戸時代のものと 言われていました。でもこの弧帯石の発見で、弥生時代からずっとまつられてきたもの だということがわかりました。』
 たんたんとした説明ですが、な、なんと重大な事実がごく最近わかったようなのです 。専門の方達には20年も前に聞いた話かもしれませんが、当時の話題は聞き流した私 にはとても新鮮に思えたのでした。
 「この線って、どうやって付けたのでしょうね。たがねのようなもので彫ったように 見えますけど」
 『あ、当時は鉄器がたくさん普及していましたから・・』
 この目玉がつらなったような文様は『弧帯紋』と名付けられているようです。当時の 吉備ではこの文様がポピュラーだったのでしょうか。少し離れたところに「都月坂1号 墳」の「特殊器台形埴輪」が展示してありましたが、それにもいちめんにこの『弧帯紋 』がほどこされていました。並んでいた楯築の「特殊器台形土器」のほうでは、復元の 石膏部分が多かったせいでしょうか。『弧帯紋』も見うけられるのですが少なかった印 象をうけました。

 それともう1つ興味を引いたのは、「亀石」の角にどうみても人の顔らしい文様があ ることでした。まるで「人面石」といった雰囲気で気持ち悪く浮かび上がっているので す。じっと見つめていましたら、隣から詳しそうな年輩の方が「あ、これは後世に彫ら れたということになっているようですよ。」と注釈をいれてくれました。どうみても整 合性がなさそうですよね。でも本当はどうなんでしょう。

 朱
 弥生時代最大の墳丘墓といわれる楯築遺跡でもう1つ注目されたのは大量な『朱』の 存在です。棺のなかにあったそうで、朱で満たされていたといってもいいらしいです。 「不老長寿」の薬と言われたらしく卑弥呼も好んだということをどこかで聞いた記憶が あります。発掘当時の新聞なので読んだ記憶はあるのですがはたしてどんなものか。大 変興味があったのですが、今回展示してありました。
 ガラスケースの中に赤い粉がぶ厚く敷いてあります。隣には「はぎ取った断面」も展 示されていました。発掘した棺のなかからこのようなものがでてくるとは、当時の担当 者はさぞかし驚かれたでしょう。吉備=「やまたいこく」説はほとんど無いのですが、 それならなぜこのような「全国1」の規模の墳墓が吉備の中心地にあるのでしょうか? 。それも「朱」というめったにはないものまで「副葬」して・・・。身びいきも含めて しばらくながめて想像をふくらませました。

 特殊器台形土器と特殊器台形埴輪
 もう1つこの岡山大学の特徴として「特殊器台」があります。「岡山県南部を中心に 、弥生時代後期に器台(注・壺など器(うつわ)を上に乗せる装飾された台のこと=杉原)が大型に発達し、特殊な文様をもつようになった。これが、古墳時代になると、円筒埴輪に発達する。特殊器台から円筒埴輪への発達過程は、古墳の起源を知る上で重要な基準となる。」といった注釈つきで「楯築遺跡の特殊器台形土器」と「都月坂1号墳の特殊器台形埴輪」が展示されていました。なんでもそういった方面での基準的な遺物なんだそうです。これらもこの「岡山大学考古博物館」のみでみられる貴重なもののようでした。

 そのほかにも、兵庫県揖保郡の権現山51号墳の三角縁神獣鏡、岡山県北の高原地帯にある「恩原遺跡群」の旧石器、瀬戸内一体から発掘された「製塩土器」の数々は、ここならではの珍しいもので、せっかくの機会でしたから何回も見せていただきました。

楯築遺跡の特殊器台形土器都月坂1号墳の特殊器台形埴輪
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