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再び『大廻り小廻り古代山城』に立つ

 今日も古代吉備国を語る会例会です。テーマは「大廻り小廻り山城跡と周辺の遺跡群」。そう、2年前のシンポジウムの際に単独で訪れたところです。
 今日は20年前の発掘調査に携わった人の案内、楽しみで~す。

あちこちにある「横穴式古墳」

 瀬戸駅から出発して一路古代山城跡へ。まず出会ったのは、道沿いにぽっかりと小さな口を開けた「横穴式石室」でした。「ここいらは、こうした横穴式石室がたくさんあります。後期古墳に属するのですが・・・」なにしろ200人を越える大部隊。ちょっと写真を撮るのがせいいっぱいでした。

えっ!!、熊山遺跡に似た石積みですって?

 県道?から少し山道を入ったところにあったのが「常楽寺石積遺構群」。目指す「大廻り小廻り山城跡」のすぐ手前にある古いお寺が常楽寺です。その裏山といったところにこの遺跡群がありました。
 何と「熊山の石積み遺構の一種」だそうです。熊山と違ってこちらは土に覆われ巨木や草木が生い茂っているのですが、最大のものは3段積みで下段が10m×10mの規模です。経塚とかお墓などの説もあり、これからの課題なんでしょうね。いやむしろ石積みが後に経塚やお墓に利用されたという考えもあるとか?。
 「(大廻り小廻り)古代山城が野に帰っていく過程で霊場化されていきます。そのなかで常楽寺が出来、その近辺に経塚やお墓がセットである・・・という姿なんでしょうね。」まことにわかりやすい説明でした。
写真左は崩れた石積み。右は最大のもので、草木に覆われ底辺が10m×10m。

そして古代山城の遺構群へ

 歩いているうちに、前のほうが立ち止まっています。「ここからが城内です。で、土塁がこの県道で切られていまして、ここにその列石が露出しています。」なるほど、地図では古代山城を取り巻く土塁と県道との交差する位置でした。ふ~ん、じゃあこの反対側にも列石が続いているんだ・・・。
 続いて訪れたのは大廻り山の西、取り巻く土塁の北側です。戦後の開拓団の廃屋を横目に進んで、立ったのがこれでした。「皆さんが立っているのが土塁の上です。私が居るのが下側。けっこうなだらかな土塁でしょう?これで戦時の役に立ったかどうか、ちょっと疑問です。」
 どうやらこの古代朝鮮式山城、いろいろと謎を含んでいるようなんです。
 これは、小廻り山から下った位置の土塁跡に立った時も同じでした。
 「列石外の柱穴がない」=版築技法がちがう?。「山城という大規模軍事施設なのに、土塁はなだらかで実用的でない」?
 こうした疑問は今後の調査に待たれるようでした。
左は大廻り下の土塁。左下(むこう)が土塁下で手前が上。右写真は小廻り山へ行く途中の土塁。

ざ、残念、雨雨雨・・・

 常楽寺での昼食の直後でした。ざーとしのつく雨。雨具の用意のある方は、「一の木戸(水門)」見学に行かれたようですが、準備不足の私など一部はここでリタイアさせてもらいました。でも貴重な経験、私にとって当分この会への参加は欠かせない行事になりそうです。(2004,12)

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