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真金吹く 吉備の中山 帯にせる 細谷川の 音のさやけさ (古今和歌集)
総社市の古代製鉄・鍛冶遺跡を訪ねて

 標記の歌が有名ですが、他にも
真金吹く吉備の山風打とけて細谷川に岩そそく也    鳥羽院
真金吹く音絶えにけり五月雨の日数ふりゆく吉備の中山  道経
などがあるようですね。
 このように古代より吉備の枕詞には「真金吹く」というのがよく使われているそうです。「真金」、どうやら鉄のようで、「吹く」というのは「生産される」という意味のようです。
 古代吉備は、鉄の生産で全国に知られていたようなのです。
 そこで秋晴れの1日、古代吉備の中心地総社市にある、古代鉄生産の遺跡を訪ねてみることにしました。

 

古代も鉄生産は「鉄鉱石」で!

 まず総社市役所を訪ね、基礎的なことをいろいろとお尋ねしました。「文化課」の女性の方に応対していただいたのですが、総社市のことをよく知らない私のとんちんかんな質問に、にこにこと詳しく教えてくださいました。ありがとうございます。
 無知な私は、古代の鉄というとただ何となく、「砂鉄」というイメージを思い浮かべていたのですが、どうやらそれは違っていて、「鉄鉱石」が材料になっていたようなのです。そうですよね。砂鉄って、そこらの川をさらってもそうそうないでしょうし・・。
 「どこで鉄鉱石がとれていたのかは、まだ判っていないのです。」
 うーん。吉備の古代史には、まだまだ新しい課題が残されているようです。

 次に訪れたのは、「総社市埋蔵文化財学習の館」というところです。国道180号線から少し入り込んだ、JR吉備線服部駅の少し南になります。
 ここには、総社市一帯の古代遺跡の説明や出土遺物が展示されていました。当然今脚光をあびている「鬼の城」についても詳しい展示があり、立派過ぎてぎょっとするような「城門」の復元模型もありました??。並べる「楯」のデザイン案もあったのですが、「こんな!、鬼の城をテーマパークにでもするつもりなんだろうか?」素人のわたしでもちょっと違和感を持ってしまいました。
 さすがに、「鉄」についての展示も豊富でした。で、そのうちのおもな3遺跡を訪ねてみることにしました。

 

古代の「鉄の大コンビナート」

 平成元年ころ、「協同組合ウインドバレイ」という工業団地造成で発見された「久代・板井砂奥製鉄遺跡」というのがあります。高梁川を渡り総社市の西端に近く、吉備真備で有名な真備町から山ひとつ越えた北側になります。吉備真備を生んだ西吉備の中心地の近くに、こんな鉄の大生産地があったようなのです。またすぐ西の総社市新本でも、弥生時代の密集した住居跡(新本・坊ヶ内遺跡)がみつかっていて、当時から開けた土地だったことが想像されます。
 ここは山麓に多くの製鉄炉や炭窯が連続して発見されています。残念ながら保存にはならなかったのですが、同じ場所が現代の大工業団地になっているとは、千数百年を経て、奇しき因縁とでもいえましょうか。
 工業団地の西端に「遺跡公園」が整備されていました。「団地内からは集落跡3か所、古墳51基、製鉄遺跡5か所など多くの遺跡が・・。6世紀後半からおよそ100年にわたって、総計60基の製鉄炉と、16基の炭窯が・・・」
当時の遺跡の復元や移築で結構楽しめましたが、最近は訪れる人も少ないのか草ぼうぼうなのが残念でした。

製鉄炉(復元)炭窯(復元)高床倉庫

 

鬼の城山麓の最古級製鉄遺跡、今はゴルフ場の下に

 整備中の鬼の城から見おろしますと、二つのゴルフ場がすぐ近くに広がっています。その一つ「鬼の城ゴルフクラブ」が造成されたとき、製鉄遺跡が発見されたのです。「奥坂・千引かなくろ谷製鉄遺跡」で、6世紀という全国でも最古級の製鉄遺跡なのだそうです。さきの「学習の館」には1/40の模型が展示されていましたがそれからみると、4個の製鉄炉や炭焼き窯を含む遺跡全体は、60m四方という大きなものだったようです。
 地図をみますと、あの温羅(鬼の城の主)が吉備津彦に敗れた時、その血でできたという血吸川のすぐ右岸でした。「行けるところまで行ってみよう」と細い道を奥へ奥へ進みます。右の山は「ゴルフ場用地」のようです。とうとう行き止まりになりました。地蔵尊を奉ったお堂があります。
 ふと見上げますと、目の前に巨大な砂防ダムが立ちふさがっていました。そのはるか上にゴルフ場らしきものが見えます。市役所での説明で「もう10数mもの土の下に埋まってしまいました。一時は保存と言う事も言われたんですが、それではゴルフコースが出来ないということで。」と言われましたが、あのダムの向こうので発見されたのでしょう。
 地元の方にうかがいました。「そう、こっからしばらく上って、今はクラブハウスがある少し西のあたりでみつかったんです。当時は千引という集落がありました。かなくろ谷いいましてな。今は地下ですが。先日も公民館で製鉄遺跡を復元した会のようなものがありました。」
 う、「かなくろ谷」・・金黒谷?鉄谷?。「鉄=くろがね」ですね。地名はそこの由来をあらわすものですね。

 鬼の城ゴルフクラブへもおじゃましました。いかにも鬼の城の城門かと思わす構えのクラブハウスです。ここの造成の際、多くの遺跡が発見されたそうで、導入路の横に「千引6号墳」「同7号墳」が保存され、横穴の口をあけていました。その説明の一部と、千引かなくろ谷製鉄遺跡の写真を下記に載せます。

 

ただいま発掘中「鍛冶屋」さんたちの村

 製鉄で出きるのは鉄のかたまりで、それだけでは使えません。当然焼いて延ばしたり鍛造したり、鋳物にしたりして、農機具や武器にして使うわけです。
 最初の市役所で「総社市はあちこちで鍛冶炉がみつかっています。掘れば出るといったぐあいで。こっちは山の中ではなくて、集落の中にあるんですね。鉄を叩いた時の剥離片とか、飛び散った火花の残り滓(かす)などでわかるんです。やはり『真金ふく吉備』だったんですね。」
 うーん。勉強になります。
 というわけで、「学習の館」にも多くの出土遺物が展示してあった「窪木・薬師遺跡」を訪ねました。県立大学と国道180号線をはさんですぐ南側にありました。ところがここ、今まさに発掘作業の真っ最中だったのです。隣にある「浄化園」という総社市の汚水浄化施設の拡張にともなって、今年の6月から発掘調査が行われているそうでした。
 あれっ、じゃあ学習の館に展示してあったあの刀、斧、釘、鎌、矢じりや、砥石といったおおくの出土物は?と思ったところ「50mばかり東の川の改修で平成2年に県が調査したときのものです。当時この古墳時代の鍛冶炉などの鉄器製作遺構は全国的に注目されました。」というお話し。納得。
 ここの発掘、先日説明会があったそうで、その資料をいただきました。
 「今回の調査でもさらに多くの鍛冶炉が密集して発見されました。」
 「古墳時代の竪穴住居10軒と鍛冶炉5基、炭釜3基・・住居の内2軒は屋内に鍛冶炉・・」
 「操業にともなう多数の鉄さいと鍛造剥片が採集され、鉄器を製作した工房であることが確認されました。」
 「出土遺物からみて、5世紀末葉と6世紀後半から7世紀前半に操業されたことが・・」
などと説明され、ちょうど真北の山裾にあった、さきの「千引かなくろ谷製鉄遺跡」との関連にもふれています。最後に
 「全国的にも最古・最大級の古墳時代の鉄器製作遺跡と評価される窪木薬師遺跡の広がりと、その内容を明らかにするうえで貴重な発見」と結論づけていました。
 さきの県の調査個所から、今回の発掘場所、さらに西へと土地は少しずつ高くなっていて、この鍛冶屋さんたちの集落の中心はさらに西に広がっていたかもしれないということのようです。
 うーん。『真金吹く吉備』。調査すればするほど興味はつきませんし、考古学調査も鉄については、まだ緒についたばかりという印象をうけた秋の1日でした。
 あれっつ、それにしても「鉄鉱石」はどこで出たんだろう。千引遺跡や板井砂奥遺跡の後ろの山なんだろうか?掘ったあとでも見つかれば面白いんですけどもね。(2003,10)

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