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血吸川上流域の遺跡群

 今日もまた「古代吉備国を語る会」です。今日は「血吸川上流域の遺跡群」とかで、吉備線足守駅を起点にその北側を、鬼の城を上に見ながら歩き回りました。それにしても「血吸川」って不気味な名前ですねー。まるでフランケンシュタインみたいじゃあないですか?。あら、川床も草だらけですね。
 実はこの名前は、大昔の古代吉備で吉備津彦と鬼の城の主「温羅(うら)」との戦いがあり、温羅の血が流れた川だという伝説にちなんでいる様なのです。でも、真実は・・??最後に駄洒落的真実として出てきますので、こうご期待。

舞台は「鬼の城」を仰ぎ見る農村地帯でした

 吉備線高松駅から一路北へ。足守川から少し西の血吸川に沿って上っていきます。目の前にはずっと鬼の城が見えています。そして最初に出会ったのが「水城跡??」なのかという場所。航空写真を見ていたある考古学研究家が「おいっ、これ水城(みずき)じゃないのか?」と言って大騒ぎになったそうなのです。水城とは九州は大宰府の朝鮮式山城(大野城)に付随する平地にある大きな防御用土塁のこと。大野城を守るため平地にも巨大な堤防(土手)を築いたものです。高さ13m、幅40m、全長1.2キロという膨大なものです。

 地形的にはここも似ているようですが、この堤防?は版築でないことをはじめ、後背地に守るべきものが無さそうだとか、否定的条件が多すぎるようでした。。結局我々見学者の過大な期待をよそに、「これは溜池の土手とも見られます。」という説明が一番合っているようで、残念??と思いながら目の前の山に分け入る一行でした。

穴観音古墳群

 「水城」?から血吸川をさかのぼり、左の山に少し分け入ったところにあったのがこの古墳群。穴観音古墳は、神社の社が前面に作られ、「弁才天」として祀られていました。羨道部はもうなく、玄室のみが祀られているそうで、種子13仏も刻まれています。これは文明11年(1479)とあるそうです。室町時代にはもう古墳でなく別の信仰の対象になっていたようです。
 この古墳は、石の積み方などから6世紀後半ごろ築造とみられ、目の前の「鬼ノ城」より100年くらい前と考えられるとか。鬼ノ城より前にこの谷に、大きな古墳が作られる文化圏、人々の営みがあったことになりますね。素晴らしいです。

阿弥陀原古墳群

 えっ、瓦拭きの古墳って??。と思わず叫んでしまったのがこの古墳です。穴観音古墳群よりさらに北、でも田んぼの中にこの古墳はありました。ちょうど操山のいくつかの古墳みたいに、石室がむき出しになっています。そのうえ上には瓦が葺かれ、おそらく最近に農業倉庫としてでも使われたのでしょう・・形跡が新たでした。おかげで昔の石の積み方がよくわかる古墳となったそうで、6世紀後半と言っても、「穴観音」より少しあとのものらしいということでした。

「鉄鉱石での製鉄説」を全国に広げた遺跡

 鉄といえば「砂鉄によるかんな流し」と「タタラ」が以前の常識でした。しかしここ「千引かなくろ谷遺跡」の発見がこの常識を変えてしまったのです。ゴルフ場造成でみつかったこの遺跡、「ここで鉄鉱石の原石を溶かして精錬し荒鉄をつくったことがわかった」のです。鉄生産の初期は鉄鉱石が使われていた。日本最古の製鉄炉として、鉄生産の歴史が塗り変わった遺跡は、今はゴルフコースの地下20mに埋まってしまっていました。何しろバブルの時代でした。今ならもっと保存運動が盛り上がっていたのに・・・。と思いながら、遠景を訪ねた一行でした。

 後に発見される総社市東部の「久代・板井砂奥製鉄遺跡」の近くでは、今も鉄鉱石が出るようなところのようです。当時はどうも鉄鉱石が吉備のあちこちで取れたようなのです。たぶんここいらでもあったのでしょうね。

2つの帆立貝式古墳

 帰路によった「尾崎古墳群と、隋庵古墳は」、ともに帆立貝式とみられ、前期古墳と5世紀後半の中期古墳のようでした。特に隋庵古墳のほうは、「短甲」(学習の館に展示)や鍛冶具をはじめ多くの副葬品が発見されていて、そのときこの古墳の主が鉄生産を集約する立場にあったことを物語っているそうでした。
 同時に前方後円墳でなく帆立貝式ということは、もうすでに前方後円墳が中央から許されるような権力を持っていなかったことをも、示しているそうです。
 この血吸川上流、鬼の城築造の前から多くの文化があり、連続して古墳が築かれてきたことがよくわかる、大変に良い探訪の一日でした。

PS:「なぜ血吸川というんだろう」。もちろん吉備津神社縁起の「吉備津彦と温羅」の伝説なのですが、それにしても・・ですよね。最後に講師の草原氏が新説を。「地図を見ると血吸川下流は、よく水田が整っています。この川が水源になっているようです。元は『治水川』と呼ばれていたのではないでしょうか?」それが『血吸川』に・・・。う~ん。ありそうではありませんか。講師の一言で頭もパンクしそうになった秋の一日でもありました。(2005,11)

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