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造山古墳の横を掘って見ました

 岡山大学考古学教室が、国内第4位の規模を持つ造山古墳を発掘しています。今日その現地説明会があるというので行ってみました。

不明の大きさを調査・周濠(堀)はあったのか

 造山古墳といえば、全国に散らばる前方後円墳のなかでも第4位の規模を誇る、吉備最大の古墳です。築造当時は全国一を誇ったとも言われています。
 今回の調査の目的は、「350mと360mの両説ある、古墳の大きさの確定」「周濠(お堀)があったのかどうか?」の2つが目的だったそうです。
 「本体は国指定遺跡のため、発掘にはいろんな困難があり、今回は周辺のトレンチ(掘り下げ)になりました。」と言うように、古墳の周りを2箇所ほど掘ってみたということのようでした。

中世に削っている・・・

 まずはその一箇所。「前方部」といいますから、古墳の四角な部分の横が、ちょっとだけ掘られていました。「掘っていると地山が出て・・・」
 いろいろ調べてみると、この位置では多くの土器が見つかっています。そして何より、「地山と中世の土層の間に層が無い!!」ことから、「ここは中世に一度古墳の土盛が削られていると思われる」そうでした。そのせいかどうか、ここでは「周濠」らしきものは見つからず、この古墳に周濠があったかどうかは、わからないということでした。
 私には、この古墳は時期が古いと思われることから、まだ堀などを巡らすことになっていないのではと想像していたので、嬉しい??結論でもありました。

長さは350mだった

 もう一箇所は、後円部の頂点のすぐ外側が掘られていました。古墳の頭のテッペンと言えばいいかもしれませんね。ここでも、地山(古墳を築く前の山)の確認がされ、「古墳の周辺の盛り土の角度と、地山との接点を想定したところ、この古墳の大きさは350mと確認された。」ということでした。これまで「360mと350mの両説あったが」ということでした。あらら・・・。
 ここではまた、吹き石らしきものが埋もれている姿が、大量に見つかっていました。

そして弥生式土器や製塩土器のこと

 後円部の外からは、なぜか弥生式土器が多く見つかっていました。中には「弥生初期(BC400年)」と見られる、焼き締めが甘い弥生土器や、製塩土器などがみつかっていました。
 なぜなんでしょうか?「まだ生活跡などが見つかっていない為、これらの土器がこの地で生活に使われていたかどうかは不明です。」という説明でしたが・・・。

 「古墳時代に、弥生土器が祭祀などに使われた可能性は?」という私の素人らしい質問には「それはとても考えられませんよ。」とのお返事。今、500年前(室町時代)の土器が使われているかどうか考えてみて欲しい・・・ということのようです。
 で、でもですよ!!。当時は今よりも時間が大変にゆっくりと流れていたのではないでしょうかねー・・・。なんて、抵抗してみましたが・・・、ちょっと無理筋でしょうかね??。

 写真のバックは、造山古墳後円部です。

PS:この発掘調査、まだ2年間続くそうですから、今後の成果に乞うご期待ということでしょうか?

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