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造山古墳に濠(ほり)があった!!

 久しぶりに造山古墳からの便りが山陽新聞に載りました。昨年と同じ岡山大学考古学研究室の今年の成果を発表すると。どうやら「周濠」(周りをとりまくお濠)が見つかったらしいのです。早速かけつけました。

濠があるかどうか、狙って発掘

 ここの発掘はいつも半月程度です。もちろんその前に種々検討されるのでしょうけどね。まあ学生さんの発掘で、なんだか年度末に今年の授業の実習という形での発掘です。それでも大勢の見学者。この造山古墳がどれだけ注目を集めているか、よくわかりますね。なにしろ全国4番目にでかい古墳なのですから。
 ということで、今年は「周濠」があるかどうかを狙って発掘したようでした。前方部のすぐ下と、後円部の斜め横の畦道あたりでした。

美人の学生さんが解説役を

 今年の特徴は?どこも可愛い美女が説明役を担っていたことでした?えっ、そんなことは本質と関係ないから、早く結論を言えですって!ごもっとも。でも、私にとっては本質の一部??なんですけれどもね??おかげで今日来た甲斐がありましたから??
 ということで、まずは前方部です。

地山を切り開いた跡を確認したい・・・

 そもそも造山古墳は、近くの山が伸びた部分を利用して築かれているのです。そこで元の山と前方部の間は、掘り下げてカットされているのです。その部分にトレンチ(溝のように細長く深く掘り下げて、地層などを調査すること)試掘を入れて、地山との切り離し状況や濠があったかどうかを確認したようでした。前方部第2、第3トレンチとか呼んでいましたけれどもね。
 地表より90cm~110cmあたりに元の山の地層が出て、その上に黒い粘土(ぬま?)のような堆積物が見られます。これが濠のあとかどうかは今後の調査だそうでした。
 たしかに研究者の方々は、慎重な言い回しをされますね。

後円部の畦のところは明らかに周濠あとのようで・・・

 一方、東の後円部の外には、古墳の形に添って、ぐるっと畦が丸く取り巻いています。これは周濠の跡に違いないと、今回の発掘になったようでした。
 たしかにここではそれらしいものが出ています。周堤(濠の外の堤防)と推定される堤のあとは、およそ8m。また周濠の推定幅は約20m。この規模の周濠がこの古墳をぐるっと取り巻いていたとすると、古墳の規模は、本体の350mに加え、両方の濠の幅28mX2を加えて、406mにもなる計算になりますね。す、すごいではありませんか?
 ただ、ここと、前の前方部とはなんと3.7mも高低差があるそうで(前方部外が高い)、もし周濠が取り巻いていたとしても、途中でいくつかに分割しなくては、水は溜められないし、周濠は作れないというようなお話でした。

で、この古墳の築造時期は??

 私としてはこの造山古墳の築造時期がもう少し詳しく知りたいのです。「築造時には全国最大だった・・・」という説を裏付ける資料がないか?などと早合点して聞いてしまいました。
 「今回の発掘でも埴輪片なども多く見つかっていますが、まだ築造時期の特定に至るような資料はありません。ここより大きい3つの古墳、履中稜などとの前後関係が特定されるような結果はまだ出ていません。これからの調査です。」

 学者先生はやはり慎重でした。ああ、残念。(2010,3)
PS:写真右はパネル展示されていた「千足古墳(造山の周辺古墳の1つで、九州のような装飾が内部にあると話題の古墳)の装飾部」です。最近水を抜いてみたら壊れていた!と問題になったものの1987年撮影のものです。

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