- 新田地帯の安全を守って・福田神社と濱田神社
新田地帯の安全を守って
福田神社と濱田神社
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 水島地域の福田地区、倉敷市福田町です。そこの神社と言えば「福田神社」と「濱田神社」がまず挙げられます。どちらも福田町の大部分を占める江戸期の新田開発において、新しい土地を守るためにその北端に祀られたという共通性をもつ神社です。

 ここではその2つの神社を取り上げてみます。
新しく大きな『福田神社』

 まずは福田神社です。旧福田新田の安全を守る神として祀られたといわれています。
 この神社、私がいつも朝の散歩をするときに、ほぼ毎日横を通っているお宮さんです。時にはついでにお参りをして、「勝手な時の?神頼み?」までしてしまう、なじみの深い所です。

 そして新しく立派な神社で、宮司さんもおられる大きな神社です。今年のお正月には初もうでの方々で連日長い行列ができていました。

 現在の新しい社殿は平成9年(1997)と平成27年(2015)に改修されたものです。
 そしてこの平成の大改修の時には、「塩飽大工の作」といわれる本殿の多くが残され、また伊勢神宮遷宮の折の古材の払い下げを受けて使われたようです。
 正面の参道にはその時の寄付者の名前がずらり。「金弐百萬円・・・・」などと並んでいます。おや、私の高校の同級生の名前も。
 ここには従来氏子とされていた旧福田新田地域のほか、水島地区の方々の名前や大企業の名前も並んでいます。現在では氏子も広範囲に広がっていると思われました。

 掲示板に由来が貼ってありました。「岡山県神社庁庁報」の昨年の記事です。
 「倉敷市北畝に鎮座する福田神社(柚木直彦宮司)は、福田新田五箇村(北畝、中畝、南畝、松江、東塚)の地が嘉永5年(1852)から開墾されたのにともない、その地区の産土神として勧請され、文久2年(1862)に社殿を造営し、明治4年(1871)に創建された。」とあります。
 「福田町史」には古い社殿の様子が載っていました(右写真)。  同時に祭神が「天照大神、倉稲魂命(うかのみたま・稲の神)、大国主命」とあります。ああそれで伊勢神宮の古材を使うことが出来たのですね。

古新田の神社『濱田神社』
 次は『濱田神社』です。福田神社と同じく、氏子の古新田地区の一番北に位置し、いかにも新田地帯の安全を守る神様のようですね。

 福田町史によりますと「祭神は倉稲魂命、少童命、大己貴命」「古新田が開墾せられ、氏神として寛延元年(1748)にまつられるようになったもの」とあります。新田の歴史と同じく、こちらも福田神社よりも100年あまり古い歴史を持っているようですね。
 もっともこちらは「福田村の別の場所の『濱田宮』を移した」と別の資料にあるのです。名前から想像しますと、『浜』(海)を治める神として海岸に祀られていた神社なのでしょう。

 社殿の前には、一見ロケットを思わす変わった碑があります。よく見ますと「明治三十七八年戦役従軍者」として、ずらずらと人の名前が並んでいます。数えてみますと33人もの人名が刻まれていました。
 明治三十七八年戦役とはあの日露戦争のことです。日本側に8万8千人もの死者を出したあの大戦争。この田舎の新田地帯からも33人もの普通の人が兵士として送られ、残った人たちがこの碑を建てて安全を祈ったのでしょうね。一体何人が生きて帰ることが出来たのでしょうか?

   そのほかこの神社には地域の歴史を示すように「古新田二百五十年記念碑」や諸々の末社などが祀られていました。(2018,10)

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