水島のど真ん中、八間川の謎
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 私が「水島の歴史」を探求しようと思ったとき、まず気になったのが、八間川でした。

 「な、何なんでしょうね。この奇妙な川は????。」

 水島のど真ん中を流れる川が、中央で仕切りがされ、二つの流れになっているのです。見たことがない、き、奇妙な川なのです???。確かに両側には花が植わり、きれいに整備されているように見えるのですけどね・・・。

中流域にはゴボウ畑が拡がっています
「みずしま財団」さんにお聞きしてみました。
「水は酒津水源池から来ていない??」

 ネットで検索してみますと、「みずしま財団(財団法人 水島地域環境再生財団)」というところのHPがそれについて詳しく書き込んでおられました。そこで早速お訪ねしてみたのです。あ、私がよくいく「トマト銀行」のすぐ横でしたから、すぐにわかりましたよ。研究員の塩飽さんという方が応対してくださり、面識もない私に丁寧に説明していただきました。そこで。

 初めに私が驚いたのは「えっ、八間川の水は、酒津の水源池から来ているのでは無いのですか??」ということでした。  だって、私が育った児島湾の干拓地のほとんどの川は、酒津の水源池からくる水で、農業用水として田んぼを潤していたからです。ここ水島地域でも福田干拓の「三間川」や古新田の「古新田用水」もそうでした。ですから、八間川もそうだとばかり思いこんでいたからです。ところが・・・

 酒津水源池から水が来ているのではなくて、用水でもなく、当然一週間に一度の番水もない「川」だそうなのです。

で、では、あの中央の仕切り板は何なのですか?

 早速「八間川って、どんな川?」って資料をいただきました。それによりますと、2つの流れのうちの東側は「工業廃水」で、主に酒津の近くのクラレ倉敷工場の工業廃水を流す目的で出来ているそうです。この工場は、近くの酒津公園に独自の井戸を掘り、そこから出る高梁川の伏流水を工業用水として使い、廃水を八間川に流しているのだそうです。

 もう一つ西側の流れは、福田町浦田地域などの農業排水を流すための川となっているとか。こちらのほうは、主に種松山塊の南西側、浦益川やため池の水が流れているようです。
 もちろんどちらも生活排水が一部流れ込んでいると聞きました。

合流直前の八間川 下流に向かって、左側がクラレからの
廃水路、右側がいわば浦益川。
浦益川。このあと手前の「石屋谷樋門」
のところで福田用水の下を交差して
から合流、八間川の西の部分になる

 八間川は、「用水」ではなくて、「農業排水路」と「工場廃水路」だったのです。納得!!!

一時のひどい汚れは少なくなりましたが・・・。

 昔はきれいだった八間川、戦後一時はヘドロがたまり、悪臭がする川になっていたそうです。クラレなどの工場の廃水の汚れがひどかったため、川の中央に仕切り壁を作り、分けて流すことになったのですが?

 人口も増え、家々からの生活排水もどんどん流れ込み、八間川はますます汚れていきました。
 そして、工場で使った水の多くはきれいにしてから流すように決められ、下水道も少しずつ整備され、現在では八間川もだいぶきれいになってきたそうです。


 ただ、クラレ倉敷工場からの廃水が減ってきているため、水量が減り、また汚れがひどくなるのではないかという心配もあるそうです。

 「水島財団」さんではこの八間川を、水島地域の環境をよくするシンボルとして良くする為の様々な取り組みを行っているそうです。「八間川調査隊」などがそれだそうでした。塩飽さんは「親水公園のようになって、市民みんなの憩いの場になるといいのですがね。」と話されていました。

今日は上流を訪ねてみました

 浦益川が合流する、倉敷市福田町浦田から上流は廃水路のみで、細い一本の水路となり、まっすぐに北上しています。こちらがいわば「八間川」、とばかりにたどってみました。水島臨海鉄道に平行に、住宅街の中を進みます。あ、流れは北からですけどね。

 途中で奇妙な機械に出会いました。水路のごみを集めて、引き上げる機械だそうです。浄化の為に苦労していますね。

 おっと、ここで八間川は、南部用水から分かれた「連島新田用水」の下を交差しています。

 さらにいくと、ドライビングスクールのところで少し蓋がされ、もう少し行ったところで、いよいよクラレ倉敷工場からの土管の出口に出会いました。あ、ここなのですね。

 で、酒津公園で、取水井戸を探しました。ありました。木々に囲まれた揚水ポンプが2台。ただ「A5」という表示がありましたので、他に4台あるのかと探しましたがどうも周囲には無いようです・・・。とにかく「八間川」の元がようやく確認できたのです。(2016,6)


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