中四国で最初のゴルフ場が
岡山霞橋ゴルフ倶楽部のこと
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 水島地域の『霞橋ゴルフ倶楽部』が中四国で一番古いゴルフ場だという話を聞いて出かけてみました。旧国道2号線の霞橋のすぐ下流、岡山県3大河川高梁川の東岸、河川敷に広がる美しいゴルフ場です。ゴルフ場は河川敷ですが、さすがにクラブハウスは堤防の反対側(内側)にありました。

大橋平右衛門さんがふと・・・
 取材のお相手をしていただいたのは、支配人をされている大橋弘照さんでした。
 「私は支配人になってまだ1年余りです。聞くところによりますと昭和の初め、大橋平右衛門という人が、この下流、高梁川の河口あたりで、砂州に向けて打ちっぱなしをされていたんだそうです。それで行き帰りにこの辺りを通って河川敷を見て、『ここらはもしかしたらゴルフ場にできるんじゃあないだろうか』と思いつかれたそうなんです。それで昭和5年に3ホールでできて、その後9ホールへと拡張され、戦争での中断はありましたが、今に至っているんです。」

 大橋家といえば、江戸時代よりの倉敷の豪商で、代々平右衛門を名乗ってきています。今、国の重要文化財の指定を受けている『大橋家住宅』がそれです。その大橋家の当主がこの霞橋ゴルフ倶楽部を起こした人だったとは・・・。ここでも文化の街倉敷のエピソードがあったことに驚きました。あらっ、支配人も大橋さんでしたね?

J・E・クレインの設計

 資料を見ていますと、コースデザインはJ・E・クレインと原田武一になっています。J・E・クレイン(1892~1980)は父がイギリス人で母が日本人、香港から来た人。垂水GCなどの設計者として日本のゴルフ史にも名を刻む人だそうです。
 日本の起伏にとんだ風景を生かすことによって難易度を高め、景観に変化をもたらすコースデザインがモットーで『古き良きニッポンのゴルフ場』を数多く(24コース)設計している人だそうです。それで、霞橋コースも『砲台型』と言われるグリーンを多用したりして、河川敷という平たん地のコースにしては、「美しい日本のゴルフコース」に入っているのでしょう。

日本初の河川敷ゴルフ場でもありました

 ここは、河川敷ゴルフ場としては、日本最古だそうですね・・・と私。  「そうですそうです。この『岡山霞橋ゴルフ倶楽部・60年の歩み』によりますと、日本で古いほうから12番目になっていますが、河川敷としては一番古いんですよ。」
 では、いろいろとご苦労もあるでしょうね?
 「そうです。河口に近いせいで海風の影響を受けますからね。朝は北風が吹いて、昼近くになると南風になる。冬になると強い西風になって、横風で難しい。風を読みながらプレイする、なかなか難しさがあるんです。」
 台風の時なんか水をかぶったりしませんですか?
 「そうです。平成16年の台風16号の時は、冠水して土砂もかぶって清掃が大変だったという話は聞いています。それまでにも何回かあって、地図を見ますと、このように上流側がかなり削られて、創立当時よりも幅が狭くなっています。」
 「この前の台風は、南側を通ったので、あまり被害が無くて良かったです。今でも国交省の指導で、よく避難訓練もやるんです。あの河川敷のテントや機材を(土手の)こちら側に移したりして・・。」
 なるほど。維持するのもなかなか大変のようですね。

社団法人のゴルフ場

 社団法人とうかがいましたが。
 「そうです。非営利法人としての運営ですから難しいところもあります。ここは会員の皆さんの年会費+αでやっていかないといけない。それと近隣の方々にプレイして頂いてということです。儲ける必要はないが、赤字にもできませんし・・・」
 それで、プレーフィーも非常にリーズナブルになっているそうです。

 とにかくこの水島地域に、日本でも古く伝統のある美しいゴルフ場があり、みんなに親しまれている様子がよくわかりました。(2017,10)

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