水島の歴史を見守り続けた「巨樹」たち
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街中の巨樹

 今朝も散歩です。西三間川を南へ。古城池線を越えたところに、大きな木が見えてきました。すごいです。

 びっしりと家が詰んだところに。あれは「クスノキ」でしょうか?「神木・楠」。  近寄ってみました。
 小さなお地蔵さまが祀ってあります。そして、「倉敷市内の巨樹」という倉敷市が 平成20年に設置した看板が。

 これは、少し調べてみなくっちゃ・・・。というわけで、市のHPから探してみました。ありました。ありました。

幹周3m以上、市内で67本

 「倉敷市では、何百年もの間、私たちの暮らしの中で生き続け、地域のシンボルとして、人々の心の支えとなっている巨樹を平成3年度から調査しています。」とあります。  何でも、地上1.3mのところで、幹周りが3m以上の木を「巨樹、老樹」として登録し顕彰して、立札を設置してきているとか。現在68本が認定されているそうです。
 この水島地域では8本となっています。前記のは「22番 北畝5丁目のクスノキ 幹周430cm」(”番”は著者挿入)でした。
 では、その他のも当たってみましょう。

最大のは福田荒神社のクスノキでした

 「16番 福田町福田 福田荒神社 クスノキ 幹周614cm」とありました。早速地図で当たってみました。どうやら「市立第二福田幼稚園」の南を東に入って、山に突き当たったあたりのようですね。

 道々聞きながら、細い道を突き当たって、山に少し入ったところにありました。す、すご~~~いです。さすが6mを超える巨木です。

 一番右の写真は、ふもとから見上げたものです。山の中にニョッキリと枝を広げています。

私の推定樹齢?では、2~400年というところでしょうか?としますと、この木はここから水島灘の多くの干拓を目撃し、現代の水島工業地帯の成り立ちと変遷をじっと見守ってきたことになります。「樹神」がいるものなら、その感想を聞いてみたいものです。

第一福田小学校の「ラクウショウ」

 次は福田新田の南部、「59番 第一福田小学校 ラクウショウ 幹周317cm」とありました。こんどは水田地帯の中です。でも、「ラクウショウ」って??

 ちょうど夏休み中でしたが、先生方もおられ、「この小学校随一の自慢なんです」と。校長先生も出てこられて説明していただきました。「秀麗」といってもいいような見事な姿の大木でした。
 「明治の終わりごろに卒業記念樹として植えられたもの」とあります。明治以来100年余、すごいです。この木を6年間も見て育った子供たちは、きっとみんなこの木のように、まっすぐで堂々とした大人に育つことでしょうね。
 詳しい説明版がありましたので、それを載せます。


宝嶋寺のクスノキ

 最後に訪問したのは、「39番 宝嶋寺 クスノキ 幹周379cm」でした。  本堂の前に鎮座したクスノキ、いかにも自由奔放に枝と葉を茂らせたという巨樹でした。古からこのお寺さんを中心に発展した「連島文化」の「自由奔放さ」を象徴したようなお姿ではありませんか。う~~んと思わずたたずんでしまいました。

 「倉敷市の巨樹」、水島地域ではほかにも
 「12番 連島矢柄 エノキ 幹周307cm」
 「25番 連島矢柄八幡神社 クスノキ 幹周402cm」
 「33番 東塚3丁目 クスノキ 幹周346cm」
 「46番 福田町福田 クロガネモチ 幹周373cm」が登録されています。

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