- 水島公害の歴史、水島協同病院
水島公害の歴史、水島協同病院
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 水島の現代史、私の頭の中では「公害」の二文字が切っても切り離せません。そして同時に「水島の公害反対運動の歴史」を語ろうとすると、『水島協同病院』(写真右)の名がまず浮かんでくるのです。
 で、このテーマをどう書こうか?どう取材しようか?私がこの「水島の歴史」を書くについて、重いテーマとしてずっとつきまとっていた課題だったのです。そう、先延ばしに次ぐ先延ばしは私の得意技とはいえ、そろそろ取材せねば・・・。
 水島協同病院と言えば、その運営は「倉敷医療生活協同組合」というところが行っているそうなんです。ということで、エイヤッと正面からインタビューを申し込むことにしました。「倉敷医療生活協同組合」にです。

岡田信之元県議が出てこられて

 水島協同病院の少し北西にある倉敷医療生協(左写真)の応接室でのインタビューでは、医療生協専務理事の谷謙一さん、岡田信之さん(元日本共産党岡山県議会議員)に応対していただきました。倉敷医療生協や水島協同病院の活動には、日本共産党の方々が大勢かかわっておられるというのは知識としては知っていたのですが、最初から元県議会議員が出てこられたのには驚きました。
 でも、一瞬引き気味になった私も、逆にこれでいろいろ聞きやすくなった・・・と質問を続けたのです。

 谷さんはまず医療生協の標語の説明から始められました。
 「もとは『Each for All and All for Each』と言うんですが、私たちは『一人ひとりを大切にする社会の実現のために』と訳して、生協運動のうったてにしています。」
 なるほど、それで水島公害の時に、患者さんや一人ひとりの住民の人たちの利益を守って、献身的な活動をされて来たんですね。ミーハー的観点?から取材を申し込んだ私など何を考えていたんでしょうね??
 でも、と気を取り直して質問を続けます。

化成水島の大火柱が公害に取り組む発端

 水島で公害の問題に取り組む発端になったのは何でしたか?の問いに岡田さんが


 「私は岡山大学を卒業してからこの医療生協に就職したのです。その少し前、化成水島(現三菱化学)ができて試験操業の際、1964年でしたか、工場の排ガス燃焼塔から連日連夜数十メートルという炎が上がったのです。近くの呼松の住民が悪臭、まばゆい光で寝られないという。で住民700戸がみんなで工場にデモ行進をおこないました。この時水島協同病院のスタッフも医療班として参加、住民の苦難を目のあたりにしたのです。(写真は倉敷医療生協「水島の公害」より)
 これは大変だと医療生協では公害委員会を設置して取り組みを始めました。呼松住民の健康調査、四日市公害の講師招聘、そして地域ごとの医療生協組合員が公害について学ぶ懇談会などに取り組みました。この懇談会が就職した私の最初の仕事になりました。

大気汚染の拡大

 高度成長の波に乗って水島に誘致された巨大な工場群が操業を始めると、水島の空は急速に汚染していったのです。61年後半には近海で死魚や異臭魚が出始め、その後水島市街地でもポプラが枯れ、64年ごろには玉ねぎが腐ったような悪臭に悩まされるようになったのです。
 大気汚染は拡大の一途をたどり、1968年(S43)から1970年ごろにそのピークを迎えます。私は今でもかかわった多くの患者さんのことが思い出されます。
(下の写真は倉敷医療生協「水島の公害」より)

 突然に気管支喘息を発症した人、20歳の労働者が重傷の気管支喘息にかかり、病院に運びましたがその夜のうちに亡くなるとか、14歳の女の子が気管支ぜんそくのため空気のきれいな下関へ転居直前に発作で亡くなられたこと・・・。」

患者、住民たちとともに展開した公害反対闘争

 「こうした中で、水島の医療生協は様々な公害反対運動に取り組みます。1971年には「公害なくせ」と住民運動の先頭に立っていた栗本泰治専務理事が、日本共産党から岡山県議会議員に当選。県議会で水島の公害防止を掲げて奮闘しています。  2年後私(岡田信之氏)も共産党から倉敷市議会議員に当選そました(のちに栗本氏のあとの県議に)。
 公害が全国に広がる中で、『公害健康被害補償法』が制定され、公害企業の責任が明確化されます。しかし水島地域出身の市議会議員では、私以外の全員がこの地域指定に反対するのです。地域のイメージが悪くなるなどと。しかし今水島で問題なのは深刻な公害の現状であり、それをなくさなくては水島の発展はありません。

 患者の方たちは病気の体を押して署名や街頭宣伝などに取り組みます。必死の戦いのなかでついに「倉敷公害裁判」、 裁判闘争になります。
 そして1996年、高裁岡山支部で「勝利和解」となりました。

(写真は倉敷医療生協「水島の公害」より)

 今はその和解金の一部で「水島地域環境再生財団」を設立。水島の良好な環境を取り戻すための取り組みを行っています。
 その間、1953年に300人で設立した「水島医療生協」は、今では6万6千人の組合員の「倉敷医療生協」となり、この地域の発展と医療の前進のために奮闘しています。」

 岡田さんの説明、とてもこのレポートで収まる規模ではありませんでした。しかし、全国的に有名になった「水島の公害」反対闘争は、この医療生協が住民や患者の皆さんとともに戦い、それがゆえに今の水島があるということが事実をもって語られ、圧倒される思いでした。

水島の大気汚染は今?

 最後に、水島の大気汚染の現状についてお伺いしました。岡田さんの示されたグラフ(下の写真)によりますと、主要な汚染物質のうち、SO2(二酸化硫黄)は減ってきているのですが、NO2(二酸化窒素)はほぼ横ばいに近い状態のようです。
 NO2って、窒素酸化物と言って、オキシダントなどの原因物質として問題にされているものではないでしょうか?何々「大気中の濃度は、約0.027 ppm」なんて説明もネットにありますね。じゃあ、このグラフは一般大気と同じ?
 しかし今後「水島の公害」、まだまだ注目していく必要がありそうです。

注: ppbとは10憶分の1。ppmの1000倍。今のNO2の環境基準は「1日平均値が 0.04-0.06 ppm の範囲内またはそれ以下であること、またゾーン内にある地域については原則として現状程度の水準を維持しまたはこれを大きく上回らないこと」上の表では「40-60ppb」となる。

医療生協の先駆者、栗本泰治さんのこと

 さて、ここでもう一人、倉敷医療生協(水島協同病院)設立者ともいうべき人、栗本泰治さん(元日本共産党県議会議員)のお話を聞かずにはおれない私でした。現在87歳という長命を保っておられ、まだまだお元気だといいます。
 数日後、栗本さんには同じ医療生協会館の会議室に姿をみせていただきました。
 で、「一番の疑問は『なぜ水島だったのですか?』なんですけど。」相変わらずぶしつけな私の質問から始まりました。


「私は高梁で生まれ、戦後は大原農研(1914年「大原奨農会農業研究所」として設立、今は「岡山大学資源植物科学研究所」)にいたんですが、その後倉敷市の阿智神社前の板野勝次さん(元日本共産党参議院議員)の自宅から水島に通って、自主診療所建設の仕事に従事します。

 当時の水島は、戦後焼け残った元三菱の臨時工の社宅が空いたところなどへ、岡山や大阪などで戦災にあい家を焼かれた人、朝鮮、中国など海外からの引揚者、戦争のために徴用された朝鮮人など、まさに戦争犠牲者の密集地で、お金もない貧しい人たちが肩を寄せ合って暮らしていたんです。岡山県下一の巨大スラム?と言ってもよいかと。

 その人たちがお金が無くてもいい医療を受けたいとか、差別のない医療をという要求があったんです。そういう人たちの中で協同組合を作って、差別のない医療をやろうとしたんですね。大阪や東京ではもうすでにそういう運動が始まっていまして、各地に民主診療所ができていました。その一つですね。

住民がきずきあげた医療です

 診療所をどこにどう作るか、無一文ですから必要な資金をどう集めるか、お医者さんや看護婦さんはどうするのか、などなど山ほどの難題が待ち受けていました。苦難から逃げずに、一つ一つの課題をみんなに話して、多くの協力者を作って、みんなの英知で難題を乗り越えていきました。
 いろいろと「アカ攻撃」もありましたが、何とか1953年(昭和28年)組合員300人を集めて「水島医療生協」の設立にこぎつけたのでした。
 それが昭和35年ごろから公害がおき始めて、昭和40年ごろにはイグサの先枯れや、喘息患者がどーと出始めて、公害反対運動を組織するということになったんですね。
 大企業を否定するわけでも何でもないんです。生産活動は重要なことです。しかしもうけ本位で生産して、住民に被害を出すのは間違っているということなんです。これは社会的に規制することで、社会の健全な発展につながると思うんです。
 そういう趣旨で、ほかにも「森永ヒ素ミルク事件」「朝日訴訟」などにも大きく取り組みました。
 倉敷医療生協の歴史は、一口で言って『住民がきずき上げた医療』と言えるでしょう。地域の大衆と民主的な医師、医療従事者が協力して、住民のための医療をきずき上げてきた歴史なんです。」


 とつとつと語られる栗本泰治さん、倉敷医療生協の専務理事を務められたのち、日本共産党から岡山県議会議員に当選(1971年・昭和46)、4期16年にわたって公害反対の論陣を張られています。(2018,2)

 下記は、左「全国有数の歯科群と言われる歯科センター(他に県下6診療所)」、右「新築のコープリハビリテーション病院、老健あかね」

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