鶴新田のレンコン農家取材
連島側の新田開発その4・鶴新田は今
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 「鶴新田」と言えば、私の子供の頃から、水島方面の広大な干拓地として有名でした。当時から広大な田んぼでレンコンが大量に作られているとか、水島工業地帯ができたとき、「鶴の浦」という巨大な団地ができたとか、いろんな話を聞いて、イメージが膨らんでいたものです。

若者がレンコンを掘っていました

 今日はJA連島の加計さんにお願いして、その鶴新田のレンコン農家に案内していただきました。作業場らしきところで、何人もの方が作業をされています。収穫した(掘った)レンコンを洗ったりまとめたりして、出荷するための作業のようです。訪問が午後でしたので、田んぼで掘る作業はもう終了したもののようでした。
 「こんにちは。お願いします。」で、出てこられたのが若者であるのにまず驚かされました。実は農家というので、年配の方を想像していたものですから?失礼しました。

 「高橋産業株式会社専務 高橋幹雄」という名刺をいただきました。会社組織にして、大きくレンコン栽培に取り組んでおられるようです。
 いつごろからお宅ではレンコンを作っておられるのですか?
 「私の祖父の時代からですから、もう70年余りになります。」

 今植え付けはどのくらいですか?
 「今は8ヘクタールくらいです。少しづつ増やしてきました。」
 「連島のレンコンの作付けは全体では約80H(ヘクタール)はあるでしょうね。」
 笑顔で語られます。驚きました。

 レンコンの栽培は力仕事が多く、大変でしょう?
 「そうですね。上土は機械で除去しますが、連島ではレンコンは実際手掘りしますので、大変です。でも傷をつけたら商品になりませんのでね。」

年で9ヵ月の収穫期です

 レンコンの収穫って、いつが主なんですか?
 「収穫は、8月中旬から、5月の末までやっています。一年のうちほぼ9ヵ月です。植え付けは3月下旬から4月いっぱいまでですね。」
 「レンコンは1つの作型(注1)で10か月収穫できるんです。こういう作物は他にはありません。」
 驚きでした。私はレンコンの茎が枯れてから、秋の終わりから、次の植え付けがある春まで、冬の間だけだと思っていたものですから。レンコンってイネと違って、年中作業が続くようなんです。

 「休みと言えば、7月くらいです。でもその間農機具の整備とかで仕事はあるのです。でもその間に休んで旅行なども行くようにしています。」
 「昔はもっと多かったようですが、最近は住宅地も増えてきましたね。」

 希望に燃えた青年という感じの高橋さんは快活に語られます。鶴新田も今は周辺に住宅地が立ち並び、この一角(と言っても広大な地域ですけどね)でレンコンが栽培されているようです。

明治から始まったレンコン栽培・美味しいですよ

 「ここは適した土壌と水などで、昔から適した作物としてレンコンが栽培されてきました。」
 連島レンコン、歴史的には明治後期から始まったそうです。高梁川が運んできた良質な粘土質の土壌と豊富な水で、今では西日本有数のレンコン産地となっているとか。
 レンコンの主成分は澱粉ですが、ビタミンCが豊富なほか、繊維質は何にも増して多いという栄養豊富な食べ物です。
 また色白で、シャキシャキした食感が人気を呼び、連島の特産として各地に出荷されています。
 私も個人的には、そのまま1センチ弱程度に輪切りにして焼いて食べるという方法を以前に教わり、煮物とともに美味しくいただいています。お酒のお供にも絶品ですよ。
 今日は「連島鶴新田は今」という取材になりました。(2017,4)


注1:何だか難しい意味があるようですが、ここでは「一回の植え付け」と理解しました。
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