- カメラを通しての水島50年
カメラを通しての水島50年
ある写真家が見つめた水島の記録
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 私の手元に「写真集 水島の記録 1968-2016」という本があります。写真家の高田昭雄さん(78)が、水島を撮り続けて50年、その集大成ともいえる作品です。
 今日はカメラを通して見つめた水島はどうだったのか??と、この高田さんにインタビューを試みました。
 かっては三井造船玉野事業所にお勤めだったという高田さん、当時から写真を撮ってこられ、有名写真家の故石津良介氏に師事、長年の作品がこの一冊に凝縮されています。
 その高田さん、風貌どおりの静かな口調で語り始められました。
 「石津良介さんは『写真はドキュメンタリーだ』と言っておられて、私もそういった趣旨で写真を撮ってきたんですが、最近はどうもそういうのが少なくなってきましたよねー。」

変わりゆく水島の姿を

 「私は玉島の生まれで、当時玉島から玉野へ行くバスがあったんです。霞橋から連島の旧道を通って、林へ抜け、王子ケ岳から玉野へと。どこも狭い道だったですな。若いころからそのあたりをカメラをもってうろうろしておったんです。


 そういう中で、特に変わりゆく漁村ということに非常に興味をもって、写真にして残そうと思ったんです。呼松沖は遠浅で、宝の海だったんです。浅瀬を歩いていたら魚を踏むような状態だったんです。その海に高島がぽつんとあるだけというような。
 それが、みるみる変わっていったんです。
 そうそう、その高島では有名な話があります。水島港でも漁が行われていたんですね。その人、松井さんでしたか。高島の漁師で、水島港に漁業権を持っていて魚を捕る。ところがその魚が臭いにおいがした。
 その人が旧の市役所に大山市長が当庁してきたときに、その目の前に取れた魚をばらまいたという事件があったそうなんです。
 その後で、企業が漁民の漁業権を買い取るということになったんですね。
 そういう中で私は、変わりゆく水島の姿をずっと撮り続けてきました。
旧三菱石油の原油流出事故のときにも

 あのとき(1974-75年)は冬で西風でしたから、油が流れて徳島まで行ったそうなんですね。瀬戸内の島々で、釣りをしても中から油が出てくると言われていました。
 あのときは、通生(かよう)や呼松などでも撮りました。坂出の王越海岸などでも、ものすごい厚みの原油の層でした。

注:三菱石油は現「JXTGエネルギー水島製油所」

新しい航路への出入りが規制され海上デモ

 1968年と72年には漁業者による海上デモがありました。それまで瀬戸内海には2本の航路があったのですが、工業地帯が増えるにしたがって『海上交通法』によって、重要港湾への航路が増え、そこへの漁船などの出入りが規制されるという話になったのです。
 今までの漁場で自由に漁業ができなくなる漁業者がこれに反対し、大きな海上デモが行われました。たくさんの漁船が大漁旗をかかげて、水島港内などでデモに参加するのを取材したのを思い出しますね。」

豊かさとは何なのか?問い続ける舞台「水島」

 最後に「50年間も水島を見続けてこられて、今どう思われましか?」とお聞きしました。


 「まあ、あれだけ立派なコンビナートができて、漁業者はいなくなったけれども、それなりの豊かさは手に入れたんでしょうね。
 しかし、しかし、そういう陰でいろんなものをなくしていったのではないでしょうか。
 漁業であり、人間の健康であり、いろんな大切なものが無くなって行っているように思うんです。

 1970年代よりも空気がきれいになって、喘息患者は少なくなってきているとはいうものの、それにはどれだけの患者や住民の運動が必要であったのかと思います。
 住民、国民と企業ととの間には、常に力関係のようなものが存在し、私たちは排気ガスや排水処理などの企業活動を常に監視していかなくてはいけないんじゃあないかと・・・ 。

 今の社会、少々の犠牲があっても、みんな生活の豊かさを追い求めるんですね。しかし、それでいいのか。豊かさとは何なのか、ということを求めているような人が今増えているように思います。
 私はほかにも、元の英田郡上山地区(現美作市)というところの運動をもう40年間も取材し、撮影し続けています。そこには、2000年ごろに都会から住み着いた人がいて、親戚や知人らが次々集まってきて、かっては6000~8000枚もあった棚田を復興させようと運動が続いています。そこへは、元企業戦士ですが、それでは生きていけないというような人たちも集まってきているのです。
 苫田ダム反対運動の時にも私は取材に行きました。
 どれも人がどう生きるのかというようなこと、写真によるドキュメンタリーといったものの必要性を感じています。」


 高田さん、最後まで静かに語られました。
 そして私と言えば、「人とは」「人生とは」・・・ということをカメラを通して追い求めてこられた先輩の迫力に、終始圧倒される思いであったのです。(2018,3)

注:この項の写真は、高田昭雄さんの「水島の記録 1968-2016」のものです。

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