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結願の観音様は酒樽に乗って!
帯江西国33観音7つの謎

ようやく「帯江西国33観音」、33個所プラス1(9番が2つあるのでこう呼ばせてもらいます)のうち判明している29個所プラス1の写真を撮り終え、HPにアップできました。(帯江西国33観音詳報
江戸時代の中期、1771年(明和8年)に成立したというこの観音様、こうして訪ねてみると、いくつかの疑問点が浮かび上がってきたのです。今回はこれらの「7つの謎」について触れてみたいと思います。


第一の謎 なぜ帯江にこのような!

もちろんこれが最大の謎です。最初の記事「帯江は観音様だらけだった!!ーー田沼時代に作られた、帯江西国三十三観音ーー」で書いたようなことが想像されるのですが、はたしてそうなのでしょうか?その大きさからも「この近くではこんなに立派な物はみたことがない」(地元の郷土史家の方)と言われています。

第二の謎 残る4個所はどこに

この帯江西国33観音は、1990年代になって帯江の老人会や郷土史家の長瀬さん、武本さんなどによって詳しく調査され、長瀬さん、武本さんの手になる写真集が、心鏡寺、駕龍寺、各公民館などにおさめられています。そのなかで不明なのが17番、22番、24番、28番の4個所です。山の中から地蔵堂など手を尽して調べられたということですが、ついに見つからなかったとか。当時の「帯江戸川家」の領地のなか、辻々や、川筋、境界と思われるところ、お寺の境内などに立っているのですが、この4個所、何とか探し出したいものです。

第三の謎 順番に並んでいないのはなぜ?

「帯江に33観音があった」というとたいていの人は「やっぱり右回りとか、順番にならんでいるの?」と言いました。どうも33観音というと、ずらっと順番に並んでいて、端から順に歩けばいいというのが普通らしいのです。
でもこの帯江西国33観音に限ってはまったく違うのです。別項の地図のように1~7番までは何とかそのように言えないこともないのですが、あとはばらばら、旧村内をあっちへいったり、こっちへきたり、まさに縦横に駆け巡るがごとくに配置されているのです。駕龍寺のようにその後の移転で場所が変わったものもないことはありませんが、むしろそれは例外。それにしてもこの不規則なハイチは何なんでしょうね?。

第四の謎 2つのタイプの観音様

ずっと歩いてみますと、すぐに気がつくのが「○番」という文字の書かれている場所の違いです。四角い台石の正面に大きく書かれているものと、観音様の左肩の上に小さく「○○番」と書かれているものとの2つのタイプに別れるのです。明和8年のほぼ同じ時期に33の観音様が設置されたとしますと、「もしかして発注した石屋(作者)が2軒あったのかな?」などといろいろ考えたりするのですが、はたして真相は??

第五の謎 酒樽に乗った観音様

33番は「結願」といいます。駕龍寺境内にあるのですが、なんとこれがハスの蓮座ではなく、酒樽にのっているのです。「後世の人のいたずら」という人もいましたが、私はむしろ当時の村人たちが33巡礼を終えて結願の駕龍寺前で祝いの酒を酌み交わし、それをこの観音様がやさしくながめておられた‥‥‥‥‥‥などという図を想像したいのであります。
皆様はどのように想像されますでしょうか?いずれにしても初めてみる酒樽観音、もしかしたらこれこそ帯江西国33観音最大の謎かもしれませんね。
「酒樽観音」でインターネットで検索してみました。一つもヒットしません。わずかに信貴山の樽観音の例がありましたが、問い合わせたところ形態的にもかなり違うようでした。
もしかしたらこの「酒樽観音」、全国に例がない珍しいものなのかもしれません。

第六の謎 西国33個所の本尊と違う像も

「帯江西国33観音」とは、近畿地方一円をめぐっている「西国33観音」を当時の帯江戸川家の領地のなかで再現した、いわばミニチュア版です。とすればその姿は本家の「西国33観音」のそれぞれの本尊を模したものになるのが自然といえましょう。現に3,5,6,12,19,20,23番などは、西国も帯江も千手観音になっています。26番の聖観音、7番の如意輪観音などもそうです。中には西国33観音が11面観音になっていても、頭の上の小さな頭像を彫りきれずに聖観音になってしまったものもあるかもしれません。
しかし、あきらかに西国本尊と違うものが6~9個所はあるのです。16番のように西国が11面千手観音なのに、帯江は聖観音、また30番のようにその逆といった例です。
なぜそのようなことになったのか?江戸時代とはいえ、お伊勢参りや観音巡礼が流行した頃です。元資料に誤りがあったとも思えないのですが?これも1つの謎です。

第七の謎 一番心鏡寺と、番外?駕龍寺本尊

2~33番まではみな石の観音様です。そして一番は心鏡寺の脇侍の金ピカの観音様です。宗派的に疑問(浄土宗)があるからと言っても、なぜか当時の心鏡寺がこの33観音成立に重要な役割を果たしたということは疑うまでもないでしょう。 それでは結願33番のある駕龍寺はどうでしょう。何と駕龍寺の本尊は正観世音菩薩で、恵心僧都の作と伝えられる像なのです。230年まえのこの33観音成立にあたって駕龍寺は結願観音を引き受けるなど大きな役割をはたしています。でもそれなら、なぜこの本尊が33番にならなかったのでしょうか?これは第五の謎、酒樽観音の存在とも絡んで非常に興味深いことになってまいりました。

以上、「帯江西国33観音」は調べれば調べるほど謎が深まってきます。でも、私たちの先祖が創立し、代々祭ってきた観音様です。信心のあるなしにかかわらず、貴重な物として大切にし、後世に伝えていかなければならないと思います。そういう意味で若い方々にもぜひ見ていただきたいと、このHPに少し詳しく報告を上げた次第です。(2001,10)

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