ご神体石は『サヌカイト』? |
私の住む倉敷市亀山地区でも、いよいよ「亀山の歴史」を作ろうという機運が盛り上がってきました。数年かけて・・・と気宇壮大な計画です。それで私も少々お手伝いを・・・というわけです。 |
叩くと「カンカン」といい音がして |
亀山地区を南北に貫く道路があります。お隣の豊洲小学校前から天城県道までの市道とはいえけっこう交通量が多い道路です。その中心あたり、県道倉敷茶屋町線(正式には別名らしいのですが、地元で呼ばれている名前にしておきます)との交差点のすぐ南に、小さなお宮さんがあるのです。 『瀧の宮』さんといいます。第1回の「亀山の歴史研究会」で話題になりまして、「あそこに石がおいてある。先年の改築のとき邪魔だからかたわらに埋めようとしたら、『これはご神体石だからそんなことをしたらだめ』という人がいて、本殿の下に安置した。」といわれるのです。 早速行ってみました。なるほど、このお宮さんは拝殿の裏に小さな本殿があり、そのなかに幅が約40センチ、高さ20センチくらいの大きな、真っ黒い石がおいてありました。あれっ、これって・・・。思わず叩いてみました。「カンカンキンキン・・・」美しい金属音がします。私の乏しい知識からすると、どうやらこれは『サヌカイト』ではないでしょうか?。
讃岐の五色台が主な産出地で、きれいに割れて割れ口が鋭くとがることから、縄文時代や弥生時代などには石包丁や矢じりの材料として西日本一帯に普及した、考古学では超有名な石です。そういう意味では日本人にとって神聖な石と言えるかもしれません。最近ではこれで木琴ならぬ石琴を作って遊ぶ人なども現われているものです。どうしてこれがこの亀山地区の小さなお宮さんに・・・。 |
香川県大川郡の瀧の宮から勧請 |
このお宮さん、昭和31年発行の「帯江村史」では次のように書かれています。 『およそ130年前(天保の頃か)、中通りの連中が香川県大川郡滝の宮より勧請したもので、その由緒は明らかでない。毎年春秋祭りが行われている。』 この本が出てからもう50年経っていますので、今から言うと180年くらい前でしょうか?。天保は1830年~1843年です。あれっ、5年ばかり合いませんがまあいいでしょう。江戸末期のことのようです。
そういえば、香川県には有名な「滝の宮」というところがあるな?と調べてみますと、どうやらそこは「綾歌郡」らしいのです。「大川郡」?たしか元の白鳥町、現東かがわ市あたりが大川郡と言ったようだ・・・。早速「東かがわ市教育委員会生涯学習課」というところに電話して教えていただきました。
そこで、水主神社の宮司さん。
で、さらに元大庄屋のご子孫だという大山家へも電話してしまいました。 |
農業の神様『牛頭天王』、サヌカイトは謎のまま |
どうやらこの亀山地区の「瀧の宮」さん、京都の八坂神社(祇園大明神)から綾歌郡滝の宮神社(著名な「滝宮天満宮」とはちがうようです)、そして大川郡の滝の宮、亀山の瀧の宮と勧請された、いわば八坂神社のひ孫神社になるようなのです。牛頭天王、牛の神様、農業の神様ですね。本殿の中には、牛の置物やなぜかお狐さんも置かれていました。 それにしてもここになぜ『サヌカイト』がおかれているのか?は謎のままでした。調査ではどこでもサヌカイトとの関連は出てこなかったのです。古代ならともかく、江戸末期や明治期のサヌカイトについての認識はどうだったのでしょうか?「ご神体石」として運んできて祀る要因があったのでしょうか?また西日本の神社でサヌカイトを祀ったところがあるのでしょうか?これを読まれた皆様からの情報があれば幸いです。 もう一つの可能性としては、6間川の下流にあって、かって河童が住むといわれた「川子岩」(右の写真)は今のように1つではなく、複数の岩がある難所だったのを、他の岩を爆破して舟が通りやすくした・・・という話もあるようです。もしかしたらその爆破した岩をここへ持ってきて祀ったのかもしれません。それにしても「カンカン」といい音がします。これは『サヌカイト』かどうか鑑定してもらう必要もあるでしょうか? 尚、ここ亀山地区にはもう一つ、この瀧の宮さんから北へ数百mのところに「八坂神社」またの名を「天王様(てんのうさま)」というお宮さんがあり、これは倉敷市浅原から勧請したことになっていることも付け加えておきます。(2006,8) PS:この石、サヌカイトとは違うようです。 |