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幕末期、甲府勤番支配と大借金で苦労。七代『安栄』

 甲府勤番山流し

 「甲府勤番」、この言葉ほど世の旗本達を震え上がらせたものはないといいます。
 甲府城はもともと柳沢吉保の居城。その子吉里が大和郡山へ転封後、幕府直轄地となってから、二名の勤番支配と同時に200名の旗本を赴任させたのがこの制度の始まりでした。(1724年、享保9年)
 江戸からおよそ150km。甲府までの間には小仏、笹子の二つの険しい峠を越えなくてはなりません。盆地で土地は狭く、寒暖の差が著しい。また当時はいわゆる甲州博徒が幅を利かせ、周辺の山岳地帯には野盗や山かが活躍、村村には「ご浪人さま」と奉られる武田家の遺臣が存在・・・それだけに江戸の華やかさになじんだ旗本には甲州はまるで地のはてに見えたようなのです。
 そのうえ、宰領の勤番支配は着任後数年で小姓番頭とか長崎奉行とかに栄転するが、その下の勤番士は転任の道が閉ざされ終生を甲州勤務で過ごすということになっていました。そのため人選に困り、結局は過去において何らかの罪状、悪事、不届きの行跡を残した旗本達を一種の追放懲罰で甲州送りにすることになったようなのです。「甲府勤番山流し」などと言われたゆえんです。この甲府勤番士にはおもに200石から500石の旗本達(約3,000人)から200人が選抜されていました。

旗本エリート「甲府勤番支配」

 一方宰領の「甲府勤番支配」は、いわゆる大身旗本のエリートで、数年後には幕府要路のポストが約束されているだけに、いずれもお役大事に勤め上げる典型的な官僚でした。しかし絶望的な「やくざ旗本」達を指揮するのがこの大身旗本ではうまくいくわけがありません。
 暴漢に襲われたとか、狩猟の途中崖から落ちたとか、溺死とか、勤番支配にはなぜか事故が非常に多いというのです。病気になって任期途中で交代した勤番支配も少なくないようです。

そして、帯江七代「戸川安栄」へも「甲府勤番支配」が

 甲府勤番支配は、大手支配と山手支配の二人が勤めているのですが、どちらも3,000石相当の旗本が、1,000石の役料をつけてもらっての赴任でした。そして幕末近く、近海に諸外国の艦船が出没するようになった頃、1846年(弘化3年)2月、帯江戸川七代、戸川安栄にこの「甲府勤番山手支配」の役がまわってきたのです。
 当時小普請組支配の」役にあった安栄にとって、栄転であり大出世への糸口、しかし難役。複雑な心境で甲府に出発したのに違いありません。当時4,000石の旗本の旅行列は45~6人が規定の人数だったようで、戸川安栄もこれらの家来で行列を組み、4日かけて甲府へと乗り込んだのでしょう。
 この戸川安栄、甲府時代のことはあまり記録が無くうかがい知ることはできませんが、「甲府市史史料編・甲府御城付」では1847年(弘化4年)11月に「病気につき」と退任を願い出て、翌1848年(弘化5年)3月に退任しています。任期4年をちょうど半分残しての退任でした。この戸川安栄の退任、詳しい事情はわかりませんが、当時の戸川家をめぐる次のような事情を考慮するのは行きすぎでしょうか?

戸川家は、金四万両の大借金財政

 江戸時代後期になると多くの旗本が負債を累積させ、財政的には破綻していると言うありさまでした。毎年知行所から入る年貢、諸役だけでは費用がまかなえず、臨時のご用金を村村から出させてようやく切りぬけてきたというのが実情のようです。
 干拓のおかげで実質約5,700石の知行地となっていた帯江戸川家も例にもれず、慢性的な財政危機だったようです。
 そのおりに生じた「甲府勤番支配」という役職就任。甲府との往復費用をすべて借金でまかなったうえ、多額の費用がかかり、甲府勤番支配を退いた直後の1848年(弘化5年)6月には、まえからの借金を合わせると、江戸、大坂、帯江での借財合計が「金42、095両」にまで及んでいたというのです。この42,000両、”5公5民”とすると、戸川家の当時の収入は2,850石(約2,850両)ですから、なんと14~5年分にあたります。
 その直後戸川家は、家中のものの15%~50%に及ぶ賃金カットや扶持米削減、当主生活全般の倹約などの厳しい支出削減策を5年にわたり実施したうえで、とうとうその財政運営すべてを当時の倉敷の大商人、植田、大橋両家に委ねるということになっています。
 今で言えば戸川株式会社が倒産し、管財人として植田、大橋両氏が選定されたと言ったところでしょうか。でもそこは封建時代のこと、領主(社長)の座は安泰なままで,明治まで続くと言うことになるのですけれども。

 この安栄、甲府勤番支配退任後2年を経て、1850年(嘉永3年)「元甲府勤番支配」へと復権。その後「小姓組番頭」から「書院番頭」そして安政の大獄の翌年、1860年(万延元年)には「大番頭」へと当時の旗本としては、いわば最上位の地位へとそつなく出世していくことになります。(2002,7)

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