水島の新店は、家族連れで賑わっていました
「Kといいます。以前に表町3丁目で”えびすらーめん”というのをやっていました。こんどまた・・・・」というメールを見て、私は飛び上がってしまいました。
”えびすらーめん”とは4年ほど前に千日前にあった、濃厚なスープの博多ラーメン店だったのです。山陽放送TVのVoice21という番組でも取り上げられ、結成間もなかった岡山ラーメン学会員の間でもファンがたくさん出来ていたものです。残念ながらごく短期間で閉店してしまいました。
その”えびすらーめん”のKさんが再登場するというのです。しかも
今度は西川筋という市内中心部で。
開店の翌日に行ってみました。西川筋を南へ。後楽ホテルから数十mでしょうか?。同じ側(東側)に、濃い茶色のラーメン店にしてはちょっと地味目なお店です。「博多ラーメン」という暖簾もシック。
入ってみると、10席ばかりがほぼ満席。幸い1つ空いていました。
そして出てきました。ラーメン500円。
やはり真っ白いスープです。極細の麺をすくい上げてツルツル。うんうん、少し固め。スープを飲んで見ます。オヤ?。4年前の記憶は遠いのですが、思ったよりもマイルドな感じがします。するするとお腹に入ってきます。途中で目の前のドンブリに盛られた高菜を入れて!うんうん・・・。
”えびすらーめん”、同じ濃厚な博多ラーメンなのですが、私には4年前よりもかなり「上品」になって帰ってきたように思われました。
しかし最後にスープを飲み干して「おや、意外に胃に来る・・・」
麺にしてもスープにしてもそんなに強烈ではなくて、何か”そっと”ある感じで、食べ終った後にこうして歩いていますと、じっくりと癒されるような思いが湧いてくるようにさえ思えるのです。これがあの店主殿の色なのかもしれませんね。
ラーメン所岡山の一角でこの新しいお店が、長く続いていくことを祈らずにはおられませんでした。(2003,2)
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たっぷりの鶏出汁醤油スープ。少し固めにゆであげられた中細ストレートの麺。そしてコリコリと歯ごたえのあるカシワ肉が数個乗って。これこそ戦後からの伝統をもつ、『備中笠岡鶏ラーメン』なのです。
今日はそのなかでも老舗の代表格、「坂本」へおじゃましました。
東から来て、2号線から左へ、と思ったらぐるっと陸橋を回って北側へ降りてきます。そのすぐ右(東側)にあるのが「坂本」です。
ちょうど昼時ということもあり、店内は10数人でほぼ満席。みなさま常連の方々のようです。1人立たれたあとの席へ座らせていただきました。おや、なにやら厨房の中でもご近所のご隠居さんらしい方が食べておられます。ご近所で馴染んだお店という雰囲気です。
いつもTVに出ておられるご主人に水を出していただきました。
あっさりとした食感でいて、十分な旨みが口の中に広がってきます。
麺も普通のラーメンよりも多少多めなのでしょうか?。歳とともに小食になっている私には、中華そば(並)500円で十分ではありました。
美味しかったです。ごちそう様でした(2003,2)
休み:日・祝
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岡山県下でも独特のラーメン文化を持ち、「もう一つのラーメンどころ」として知られる笠岡市。ここでも最近のラーメンブームは新しい波を運んできているようです。
2号線から北へ、1キロばかりのところに出来たという「らーめん司」の話題を聞いてから、もうだいぶ経ちますが、やっと出かけることができました。
県道を北上し、笠岡高校を過ぎたあたりの左側にありました。駐車場4〜5台分でしょうか。
ラーメン500円。本当に透明な醤油スープに、なにやらプカプカと浮いています。あれっ?と思いつつ麺を上げてみると、何とこれが少し平たい麺。あ、そうなんだ。ここって尾道ラーメンなんだ。どうりで豚の背脂が浮いている、と納得しながら食べ進みます。
笠岡は県下では福山や尾道など広島県に近いところ。当然予想できたはずなのですが、私の頭はなぜか「備中笠岡鶏ラーメン」の印象が強く、少々驚いてしまいました。ごめんなさい。
食べ終ってメニューを見直しました。別に「司ラーメン(細めん、トリ入り)600円」というのがあります。ああ、これがどうやら笠岡ラーメンだったのですね。
次はあれにしてみよう、などと思いながらのごちそう様でした。でも私のメモには、県下で少ない尾道ラーメンのお店として、しっかりインプットされていますよ。(2003,2)
休み:水曜
営業:11:30〜24:00
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「かの子かんのん」岡山市民劇場例会です。劇団民芸で、樫山文枝、伊藤孝雄、日色ともゑ、津田京子・・・。あの岡本太郎氏の母の物語です。自分の意思に正直に生きようとしたのか?。夫がありながら次々と男性に心を寄せ、しかしそれを理解しようとする夫。世間は「女は貞淑、男の女遊びは甲斐性」と言われた時代。男女共同参画・・という現代との共通する部分は???
人の欲望と生き様について、自分を超えていろいろと楽しませていただきました。 それで「今晩は外で食べてきて」という連れ合い殿のご希望に応じて寄ったのがまんだいラーメン。岡山市箕島です。岡山児島線で妹尾から南へ、瀬戸大橋線を越える跨線橋のすぐ手前右にありました。
駐車場は充分あり、内部は20席程度でしょうか。おや「東京ラーメン」という張り紙があります。
ラーメン450円。ワカメ入り(500)を注文しました。す、すごい。ドンブリ一面にワカメが乗って出てきました。中細ストレート麺で、透明な醤油スープ。醤油の色が濃いのと海苔が乗って来るのが「東京」の主張なのでしょうか?。
他に、塩500円、ごま500円、ごまみそ、かつ・・・などのメニューがあります。
この通りは最近「○幸」が閉店、少々寂しくなったように思いましたが、ここは郊外で常連さんに愛されていると言う雰囲気がしました。(2003,2)
休:日曜
営:11:30〜22:00
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今日は御津町金川にきています。晴れ上がったこの日、「古代吉備を語る会」のみ
なさんと、岡山県か最大級の戦国山城、金川城(玉松城)探訪で歩いているのです。
鎌倉時代から戦国時代までこの地を拠点に備前西部に勢力を張った松田氏の居城で
す。
御津町役場の前面にある臥牛山の山頂にありました。本丸を中心に、北の丸、二の
丸、 丸と通常の山城1つに相当する大きな出城がいくつも配置された、壮大なお
城です。
玉松城という名は嵯峨天皇?からもらったとか。戦国山城としては名城といえるで
しょう。
いや、まてよ。『玉松』ってどこかで聞いたことがある???
そうです。同じ御津町の南の入り口にある、有名なラーメン屋さんの名前ではあり
ませんか。岡山のラーメン界に一大勢力を持つ、○松、○仙・・・といった、いわゆ
る「松系」の総本山が『玉松』なのです。
ということで、後日『玉松』を訪れました。いろんな野菜をブレンドした濃い豚骨
スープに、隠し味としてハチミツがたらされたその味は私にもすっかりおなじみで
す。ラーメン580円、ジャンボ(大盛り)780円、ジャンボ餃子ほかメニューは豊富。
中細ストレート麺、チャーシューともにいいバランスのラーメンです。
帰りにレジで名前のことを聞いてみました。「ええ、玉松城から名前を取ったとは
きいています。」やはりそうだったのです。
国道53号線から次々と車が入ってくるこの人気ラーメン店。相変わらずの繁盛の
ようでした。(2003,3)
前回の『玉松』レポートはここ。
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今日は久しぶりに山陽町にきています。お昼はどこにしようか?。ここいらでラー
メンといえば・・・などと考えているところに、「ラーメン」というのぼりが目に付
きました。山陽団地から北へ山を下りたところの左側です。『ひさ屋』というお店
で、まだ開店間がないようでした。車が4台ばかり止まっています。
「いらっしゃいませ」女房殿?の笑顔が迎えてくれました。
ラーメン500円、他にギョウザなどのメニューです。
そのラーメンが目の前に置かれたとき、目の前の鉢からプーンと美味しそうな香り
が漂ってきます。あれっ、このにおいはどこかでかいだような?。透明な醤油スープ
の表面に浮いた油膜の香りのようです。
レンゲでスープをすくってみましたが、美味しさが口の中いっぱいに広がってきま
す。麺は細麺、ツルツルと口の中へ入ってきます。チャーシューも柔らかくてこの
ラーメンに合っています。
「G13」などを読みながら、ゆっくりと食べさせていただきましたが、いつのま
にかスープの最後の一滴まで飲んでしまっていました。ごちそう様でした。(200
3,3)
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私の地元近く、倉敷市羽島、県道倉敷茶屋町線沿いに古い長屋があります。昭和20年代からの建物ではないでしょうか?その角に突然「萬福食堂・ラーメン」というま新しい看板が上がったのです。新規開店かというとそうではなく、そのお店はずっと古く、私の記憶にある限りの昔からあるお店なのです。もしかしたら、、、?
実は私には、父が昭和20年代から30年代にかけて通い詰めたお店がそこいらにあった・・・というかすかな記憶があるのです。もしかしたらあのみせが・・・?そうです。ま新しい看板を上げて意欲的な展開を図ったのかもしれないのです。
ならば昔の常連客の息子として、ぜひ顔を出さねば・・・?。というわけで出かけてきました。
本当に懐かしい記憶に残る建物です。でも内部は少し改装されたのか、田舎の食堂風です。
ラーメン400円。そのほか壁にあふれんばかりのメニュー。あっ、あの真子美味しそう!でも今日はラーメンです。
楽しそうなご亭主が運んでくれたラーメン。むむっ、私ネーミングの「街角懐かし系」ラーメンです。最近では「3丁目の夕日系」ともいいますけど。あの懐かしい香り、麺も引き立って美味しいではありませんか!。もやしも馴染んでいます。ついついゆっくりと味合わせていただきましたが、この味は私には全く不足はありませんでした。美味しかったです。
居合わせた常連のお客さんやご亭主ともどもに、昔の高校野球の話題で盛り上がってしまいました。ご近所でもあり、これからも時々行く店になりそうです。
PS:どうやら私の父がよく利用したお店は、この萬福食堂のお隣に昔あった別のお店のようでした。では。(2003。3)
PS:上の写真は、2004年元旦にいただいた賀状です。あまりに見事なので、ついつい飾ってしまいました。(2004.1)
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倉敷地区の西北部を西阿知地区といいます。古くから文化の開けた土地で、古い町並みもあります。最近では近くに大ショッピングセンターが開店、交通の便も良くなってきました。
その西阿知地区に新しいラーメン屋さんが出来たと言うので、出かけてきました。
県道酒津中島線というんですか?旧2号線倉敷球場の西の交差点(中島)を右折、総社方面にむかいます。そのまま跨線橋をすぎて2つ目の信号を右折すぐのところでした。「琥珀」というちょっと素敵な名前のお店です。
「いらっしゃいませ。」さわやかな声。若いご夫婦ではじめられたのでしょうか?。カウンターを入れて10席あまりの小さなお店です。醤油ラーメン500円。それと煮込みチャーシュー丼500円が主なメニュー。どうやらチャーシューに自信がおありのようなメニュー構成ですね。
透明な醤油スープに、中細ストレート麺。柔らかいチャーシューが6枚も!。キクラゲも入っています。スープに浮かべられた背脂を見て、「うん、尾道系?」と思いましたが、麺は平麺ではないようでした。
一度に2玉づつしか湯がかないようで、ご亭主の丁寧なしぐさが特に印象的でした。(2003.4)
休:月曜
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倉敷市水島。ここにもラーメン新店の波が及んでいます。神田三丁目だそうですが、水島にあまりなじみない私にはよくわかりません。見当をつけて新大高街道をずっと行ってみました。ところがその通りにあったのです。亀島山が見え始めたころでした。「れんげ」。
中は以外に広く、座敷席がずらりと取り巻いて、ファミレスのようです。ちょうどお昼時で、家族連れで賑わっていました。
支那そば(醤油ラーメン)、みそラーメン、トンコツラーメン各500円。チャーシュー麺600円。炒飯のほか、から揚げなどのおつまみメニューと、なかなか豊富なメニューです。
おっと、支那そばが出てきました.半透明な醤油スープに脂が浮き、チャーシューが4枚。シナチクにもやしと、岡山で最近多いラーメンです。おや、この麺は?。細いストレート麺ではありませんか。百万両と似た感じがします。さすがに水島。私には固ゆでで出てきましたので、美味しくいただきました。(2003,4)
休:水