讃岐うどん VS 岡山のラーメン
杉原尚示

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これは、「岡山ラーメンキング2(2003,5 エディターズ)」に掲載されたものです。

 私の職場には高松に支社があって、数年間交代で常駐するのだが、必ずしもみんなが讃岐うどんのとりこにはなっていないようだ。そんなことから岡山の人が讃岐うどんを食べに行っての評価に、ふたいろあるというのに気付いたのはもうずっと前である。無条件にはまりこむ人と、そうでない人にわかれるのである。
 讃岐うどんにとりこにならないほうの人は「うん、美味しいんだけど、ちょっと。」と言う。
 一方で、岡山に進出してきた讃岐うどん店が、長い間に徐々に柔らかくなっていくという話しも聞く。「岡山人は柔らかいうどんがすきなのかなー?」などとも思っていた。「岡山と香川の食文化の違いの一端がこういうところからものぞけそう」などと大胆なことも考えていたものである。

 そんなときである。友人のI原氏が「杉原さん、岡山県の人って、麺を噛むでしょう?。」というのである。さすがによく観察しているなと思いながら聞いていると「讃岐うどんは、噛まないで飲み込んで、そののどごしを楽しむんです。」ともいう。たしかにそんな話しも聞く。
 「岡山の人って、何か麺をもぐもぐと食べるんですね。そこが讃岐うどんと岡山のラーメンの違いなんじゃあないでしょうか?。」
 白状するとわたしも讃岐うどんが「ちょっとなじめない派」のひとりである。私などは、讃岐うどんを噛まないで飲み込むなどという芸当はまず出来ない。気付くと”もぐもぐ”と食べている。
 ラーメンについても同じことが言えそうである。スープをすすり、麺は口の中に入れて噛む。噛まないで飲み込むなどというようなもったいないことはとてもできない。チャーシューもしかり。ちゃんと噛んで味わうのである。私の場合はそこから「ハーモニーの良いラーメン」などという評価基準が出て来たりしているようだ。

 ラーメン所岡山には多種多彩なラーメンがある。特にそのスープの多彩さは、全国の追従を許さないのではないかとも思う。
 瀬戸内海の繊細な魚達、温暖な土地の多彩で美味しい農作物、全国有数の果物どころ・・・そういった風土のなかでの岡山県人の舌は、意外にも繊細で包容力に富んでいるのかもしれない。そこに育ったラーメンが、多種多彩なのもよく理解できる。
 博多ラーメンのように他所から進出してきたラーメンが、一定のシェアを持っているの も「多種多様さ」のひとつである。
 「ラーメンはドンブリ一杯で、完成されたコース料理なんです。」と言った人がい る。たしかに岡山にはそのような料理がよく似合う。岡山ばら寿司しかりである。

 話しを「麺」にもどそう。今岡山に進出して苦戦しているラーメン店に「ちぢれ麺」がある。「なぜか馴染んでもらえない」という。そういえば私などの頭ではラーメンといえばなぜかストレートな麺と決まっている。なぜかわからないが、くねくねした麺は、食べるとき何かスープが飛び散るようで・・・と言ったら変であろうか?。悪意はないのだが、なぜか讃岐うどんに持つ違和感と似たものを感じるのである。
 でもご安心あれ。岡山にも讃岐うどんにはまる「麺食い」もけっこう多いのだから。そのうち「ちぢれ麺」も一定のシェアを獲得するに違いないと私は思う。

 そう、ここまで書いて「麺食い」という言葉に反応してしまった自分に驚いている。そういえば私はどちらかといえば「スープ飲み」なのかな?。食べた後に「どんな麺だったか」というよりも、「どんなスープだったかな?」というほうがどちらかといえば印象が強い。まあラーメンの種類にもよるのだけれども。

 でもこの「麺食い」「スープ飲み」「具(トッピング)食い」のそれぞれの文化についての分析を書くと、とてもここにおさまりそうにないので次回に譲りたい。皆様もぜひ考えていただけたらと思う。(2003.5) inserted by FC2 system