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江戸幕臣、儒家だった杉原氏の子孫

   このホームページに次のようなメールをいただいたのはもう3ヶ月も前でしょうか?
『このようなページをずっと探しておりました。私も杉原です。 最も古い先祖は杉原日向守といって武田信玄の足軽大将でした。長篠の合戦の資料にも登場し鳶の巣山で討ち死にしたとあります。(略)武田家滅亡後は江戸幕府の儒官になったようで・・・』
 驚きました。私の持っている「杉原一族」には「江戸幕臣平氏の杉原氏」という項があり、『室町幕府三番奉公衆の直裔かと思わるる杉原氏、甲州に奔りて後は徳川氏に仕え、江戸の幕臣として系を伝う。・・・』として詳しい系図も載っています。これは間違い無いのではないか?。所要で上京のおりに寄らせていただきました。

長篠の合戦で討ち死に!
 
 杉原智也さん、なぜか私とも近い業界でお仕事をされているその方は、現在は東京から東急東横線であの田園調布の少しさき、武蔵小杉駅の近くに住んでおられました。
 お父上の杉原鏘一郎さんご夫妻もかけつけていただいての取材訪問。素晴らしく楽しいひとときとなったのです。
 「いやー、先祖のお墓に『天正3年5月 長篠の合戦にて討ち死』と刻んでありましてね。それをみてからずーと歴史好きになってしまったのです。
 「家紋もこの通りです。剣巴。この系図はぴったりですね。」
 珍客到来とばかり、私に向かって機関銃のようなお2人のお話しが続きます。
 「広島備後の杉原さんも剣巴で似ていますね。やはり室町幕府にいた福山尾道の杉原氏が甲府に移ったのでしょうね。」したり顔でついつい解説してしまっている私。すっかりお2人の話しに乗せられてしまいました。
裃(かみしも)家紋ー剣巴伝わっている印籠

青木昆陽の娘が嫁入りという伝承も・・
 
 お話しが続きます。
 「我が家に伝わっている話しとしては、武田家滅亡後は徳川家に仕えて儒官になったようです。江戸時代中期には青木昆陽の娘が我が家へ嫁入りしたという言い伝えも残っています。」
 えっ、青木昆陽といえばあの「甘藷先生」。学問で有名な人です。
 「本当かどうかはわかりませんが、うちは儒家ですし、学者同士のつながりでそういう縁があっても不思議ではないのではないかと思います。」
 以前の「萩の杉原家」調査では、吉田松陰が出てきましたし、どうも杉原家というのは学問の神様に少々魅入られているのでしょうか?
拝領の着物その紋所位牌内の代々を書き記した木簡

江戸時代の住所が、今も本籍地です!
 

 最近出版されている幕末期の江戸住宅地図が登場しました。今の東京ドームの近くです。「ここです。この杉原平助というのが私の先祖です。」指し示されてのぞき込む私。たしかに『杉原平助』とあります。
 「これで500坪あったそうです。この平助直養という人は幕末に黒船が来た時、人々が”すわ戦争か”と騒ぎ鎧甲を買いに走った時、”これからは平和がやってくる”と言いきり、自分の持っている鎧甲を逆に道具やに売った・・・という言い伝えも残っています。」
 ふうむ。杉原家と平和・・なんて言葉が頭をよぎる私をよそに、次のお話しが続きます。この平助直養さん、極楽寺にある顕彰碑の漢詩を選定したそうで、そこには「幕府掌教官」の肩書きが入っているそうです。
 「それで、私の本籍地はまだここなんですよ。文京区本郷一丁目・・・。運転免許証を見せていただきました。
 す、すごいことです。明治になって八王子に移り住み、今この武蔵小杉近くにお住まいなのですが、本籍地は今も江戸時代の先祖の地に残しておられる。何か日本人の生き様の一つがここのあるような気がしました。やはりこの「杉原姓調査(最近は杉原さん追っかけ??)」という私の趣味はあちこちで私に生きる勇気を与えてくれる気がします。

家宝は、長篠の合戦で使った槍の穂先と刀
 

 お父上が静かに語りはじめられました。
 「我が家にもいろいろ昔のものが残っていたんですけれどもね。葵の紋の入った拝領の羽織とか、陣笠とか。でも保存が悪くてだいぶ傷んでいます。」
「家宝として伝わっているのは、長篠の合戦で使ったという槍の穂先と刀。それと何かのお厨子です。このお厨子は運慶の長男湛慶の作と伝えられ、立派な細工がしてありましてね。以前国立博物館に鑑定をお願いしたんです。傷みが激しいために”国宝級とまでは言えないが云々”と言われたんです。以前は1年に一度しか開けられないとされていいましたし、母など”見たらめがつぶれる”と!」

金ピカのお厨子刀の入っていた袋平助直養の名のある極楽寺の碑

 第一回アジアオリンピックで、金メダルを。
 

 で、私の目の前におられるこのお父上、なぜか以前にお訪ねした尾道市の山手銀山城主末裔という杉原さんと、なぜか雰囲気が似ておられるのです。これも「杉原顔」の一つなのでしょうか?そんな私のたくましい想像をよそに、お話は想像もしなかった方向へ。

 実はこのお父上、杉原鏘一郎さんは自転車の名手で、ニューデリーでの第一回アジアオリンピック(アジア大会)の金メダリストだったのです。アジア大会とはいえ、私の知る限りでは「金メダリスト」の杉原さんは初めてです。
 その時は自転車1000メートルレースで優勝して新聞の4コマ漫画にも扱われたほどの騒ぎになったとか。
 引退後は母校の立教大学自転車部の監督、全日本自転車競技の監督、東京オリンピックでは自転車競技の全日本チームの監督として行進にも参加、NHKのテレビスポーツ教室の解説や自転車協会の理事を歴任、引退した現在は財団法人日本自転車競技連盟の顧問をなさっているそうです。
 思いがけずすごい方におめにかかってしまいました。

 今、菩提寺は、”トラさんち”のお隣にありました
 

 翌日、この杉原家の菩提寺と言う理昌院(葛飾区高砂)をお訪ねしました。地図をみますと、あれっ、お隣に「葛飾柴又」なんて地名がみえるではありませんか。
 古い系図では山谷になっているのですが、関東大震災のあとこの葛飾に移転したということでした。
 ほぼ中央にある「杉原家」のお墓。たしかに『長篠の合戦で討ち死』なんて文字も見えます。「直明ー昌直ー忠明・・・」手持ちの系図にある名前がお墓に刻んであります。
 

 後日、お宅の位牌なども確認していただきました。直明以降現在まで系図がつながったとか。では、「江戸幕臣杉原氏」の系図の一部を参考のために掲載します。お訪ねしたお宅以外にも、3~4家が幕末まで伝わっていたようです。(2003、2)

杉原直明(長篠で討死)ー+-昌直ーー忠明ー+-忠刻ーー直精ーー直徳ーー直勝ー+ 
            +-直秀ーー   +-守忠ーー            |
            +-景明ーー                     |
+ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー+

+-直雅ーー直休ーー平助直養ーー季七郎典学・・・

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