美作インターのちょっと北に・・・

 岡山県の東北部、中国自動車道の美作インターチェンジを下りて、6キロほど 北へさかのぼった所に、勝田郡勝田町杉原という地名がある。岡山方面からは 旧美作県道を一路北へ、湯郷温泉をとおりぬけたら、まもなくインターチェンジ が見えてくる。そして、「杉原」である。
 岡山県下に現存する地名では、「杉原」はここだけである。

 両側に山、中央に吉井川の支流の梶並川が北から南へながれている。その狭い 盆地の南からの入り口近く、西の山の急斜面に10数件の農家が軒を重ねるよう にとりついている。その狭い土地が「杉原」であった。
 「こんにちは」
 「ああ、こんにちは」
 冬の日溜まりの中、農具の整理をしていたのは60過ぎであろうか、人のよさそ うな夫婦である。
 「ここは、杉原っていうんですか。私も杉原といいますが」
 「ああ、そうですよ。でも、ここには杉原姓はありませんな。昔はこの裏山の 向こうの吉野分で、この地だけ吉野村でした。何か一時は天領だったこともある らしく、結構重要な土地じゃったようじゃなー」

 「角川日本地名辞典33、岡山県」によると、江戸期には「杉村」「杉原村」と いったそうである。しかし、この辞典でもさきの夫婦の話でも、「杉原」の地名の 由来はわからない。
 家と家の間を抜けて山へ上がっていくと、耕地整理を終わったばかりの段々畑 の横にでる。さきのほうまで、細く細く耕されている。その横にコンクリートで 舗装した道があり、さらに上がっていくと小さな神社へでる。鳥居へは、「杉神 社」の文字。裏へ回ると、この「杉原」の10数軒が寄付して、鳥居を修理した 旨の板書きがあった。回りにはけっこう杉や桧がみえる。
 ふと下を見ると、杉原の家並のすぐむこうを、県道美作奈義線が走り、大型バ ス2台と、ダンプカー3台、あいだにはさまれた乗用車が北へ。今は交通量も多 いようである。

 なぜ、ここは「杉原」というのであろうか。なぜ、ここはほんの小さな地域だ けで旧の小字でない地名を持っているのであろうか。疑問は深まるばかりである。 この急傾斜の山の反対則から、かってここの人々は山越えして移ってきて定着した ようである。そして、天領になるような重要な仕事をしていたのである。
 「杉原」から想像される仕事は、一つは杉など木材の集散地、もう一つは和紙の 紙すきである。すぐ下が大きな川であることから想像すれば前者であろうし、また 紙すきの可能性も捨てきれない。

 この「杉原」を含め勝田町には現在杉原姓はない。隣の勝央町には、中心地の勝 間田に数軒の杉原姓があるが、この「勝田町杉原」との関連はわからない。
(この項 '96,12)

   「杉原」地区全景        「杉神社」
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