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鎌倉時代の杉原氏
杉原氏に関する雑感・文責:木下和司
 (前出、「杉原光房は室町幕府の大岡越前だった」でインタビューした、木下和司さんから原稿が届きました。)

ここ二年くらい、鎌倉時代の杉原氏に関する研究をしています。その中で得られた 知見を雑感風にまとめてみたいと思います。
1.杉原氏と平清盛

江戸時代、長州藩士だった杉原氏の家系図を調べていると、杉原家を平清盛の子孫とする家系図をよく見掛けます。しかし、南北朝初期の成立とされる『尊卑文脈』によれば杉原氏は伊勢平氏として同族ではありますが、清盛の家系とは別の家系とされています。『尊卑文脈』は、現代の歴史家からかなりの信頼を寄せられている系図集です。私自身の僅かな歴史研究の経験からもかなりの信頼をおけるものだと思っています。

歴史の研究をしていると、武士が自己の家系を歴史上、有名な武将の直系として家系を飾っているのをよく見掛けます。長州藩の杉原氏を清盛の直系としている家系図も、こんな武士の意識の表れではないかと思います。但し、杉原氏と清盛に全く関係が無かったかというと、そうではありません。杉原氏の祖先である伊勢平氏の家系、貞衡流(平貞衡から始まる家系なのでこう呼びます。)は、清盛の家系の重臣であったことを示す記録が残っています。平安後期の貴族が書いた日記『長秋記』に、貞衡から三代後の平維綱が清盛の父である忠盛に仕えていたこと示す記録が残しています

 『長秋記』保延元年(1135)八月二十一日の記録には、平忠盛(清盛の父)が瀬戸内海の海賊討伐をした功績の恩賞として、清盛が従四位下に、平維綱が右衛門尉に任ぜられたと書かれています。また、平安後期から著述の始まった歴史書『本朝世紀』久安五年(1149)三月十五日の項には、維綱が清盛の異母弟・家盛の乳母父であったことが記されており、伊勢平氏貞衡流は清盛の家系に仕えた重臣であったことが確認できます。維綱は鷲尾右衛門尉と号した人物で、杉原氏の祖・光平から三代前の貞衡流平氏の当主にあたる人物です。

2.杉原光平と鎌倉幕府

杉原光平は杉原姓の祖とされる人物ですが、その経歴は殆ど分かっていません。しかし、光平の経歴を示していると考えられている史料が二件存在しています。一つは、鎌倉時代前期の中流貴族の日記『経俊卿記』宝治元年(1247)十一月八日の記事と、もう一つは有名な鎌倉幕府の歴史書『吾妻鏡』建長四年(1252)五月十一日の項です。
『経俊卿記』の記事は、後嵯峨上皇の皇女・綜子内親王の誕生五十日を祝う儀式の記述です。この儀式で杉原光平は皇女に祝いの品を献じる役目を後嵯峨上皇に仕えた中流貴族四人とともに務めており、光平も後嵯峨上皇と何らかの繋がりがあった武士だと思われます。
また、『吾妻鏡』の記事は将軍・宗尊親王が祈雨の祈祷を行った僧侶と陰陽師に恩賞を与えるために遣わした使者の一人に光平の名が見えます。宗尊親王は建長四年の三月に京から鎌倉に下ってきて将軍になった人で、後嵯峨上皇の長男にあたります。このことも杉原光平と後嵯峨上皇に何かの接点があったことを示しています。綜子内親王の誕生五十日を祝う儀式に出席した貴族や武士の中には、何名か宗尊親王に同行して鎌倉に下った人物が存在しており、おそらく光平もそんな武士の一人ではなかったのかと思います。

では、杉原光平と後嵯峨上皇の接点とは何なのでしょうか。明確な証拠を持っている分けではありませんが、杉原氏(と言うか伊勢平氏貞衡流)は後嵯峨上皇の外戚であった村上源氏土御門家に仕えた公家武士だったと考えています。このことを論証しようとすると煩雑になるので、ここでは間接的な根拠を一つだけ挙げます。
光平の兄・宗平の孫娘にあたる女性は、土御門家の当主・土御門定實の側室となり、この女性の産んだ男子が定實の跡を継いで土御門家の当主となっています。当時の状況を考えると伊勢平氏貞衡流は土御門家と非常に近しい家系であったことになります。この土御門家は、南北朝期に北畠親房を出す家系であり、南北朝期の杉原氏の動静を考えると興味深いものがあります。

3.鎌倉時代後期の杉原氏

鎌倉時代後期は、杉原氏の家系に関する史料が比較的多く残っている時代です。
この時代、杉原氏は鎌倉幕府の裁判所(当時の言葉では「引付」と言います。)の裁判官であったこを示す記録がかなり残されています。当時は、貴族や大社寺の持っていた所領を武士が積極的に侵略したために、所領を巡る訴訟が幕府にたくさん持ち込まれました。こんな裁判記録に杉原氏一族の名前を認めることができます。その記録とは、
以上のように、鎌倉時代後期には杉原氏は鎌倉幕府の裁判官をつとめた家系であったことが記録上で確認することができます。そして、南北朝期になると室町幕府裁判所の裁判官として杉原光房の活動が認められるようになります。私は、光房は室町幕府の草創に大きな功績のあった足利直義(将軍・尊氏の実弟)の側近だったと考えていますが、光房の活躍については、また、別の機会に譲りたいと思います。

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