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杉原光房は室町幕府の大岡越前だった
中世杉原姓研究の木下さん

 杉原姓のページに丁寧なメールをいただきました。福山市在住の木下和司さんで、備後の中世史を研究されているそうです。
 『杉原氏に関する私見』と題する詳しい文章もそえられていました。驚きました。大変に資料にも詳しく、中世杉原氏の中央での位置まで明確にされているのです。現在までの私の調査では中世の杉原氏に関する部分でなかなかその実態が浮かんできませんでした。特に中央での位置は、「将軍の側近にいた・・」というような漠然とした内容だったのです。
 これはお会いしないわけにはいきません。さっそく連絡を取らせていただきました。
 岡山広島県境近くの喫茶店でお会いした木下さんは、私よりだいぶ若くお見うけする精悍そうなお方で「実は福山の歴史研究グループでやっていまして、その機関誌に載せたものや、報告会で使った資料を少し持ってきました。」
 70ページ近い資料を渡され、何から話していいものか・・とドギマギしている私に、「吾妻鏡」で何とかとか、「経俊卿記」でどうとかとか次々と解説をしていただけるのですが、何しろ「吾妻鏡」でやっと何とか名前だけ知っている・・という私には、チンプンカンプン・・??。資料を目で追うのがやっとです。木下さん大変失礼いたしました。

伊勢平氏で、平氏全盛期には忠盛、清盛などに近侍した武士であった

 私:「いちおう伊勢平氏ということになっていますよね。」
 木下さん『そうです。ここ(福山)では備後生え抜きの武士という説が有力ですが、そうしますと同じ生え抜きで有力な宮氏が尊卑文脈に載ってないのが不思議です。杉原氏は尊卑文脈が成立した室町時代に中央で有力な一門とされていたので載せられたのだと思います』
 うーーん。やはりその当時の『杉原』は、中央政府での活躍がメインだったようなのです。、それを知らなかった私は「杉原姓研究家」としては、まだ素人としか言えませんですよね。
 木下さんの資料には『杉原氏の家系は伊勢平氏貞衡流に属し、平氏全盛時には忠盛、清盛、家盛、頼盛などに近侍した武士であった』とあります。
 『平氏の系図では、清盛系の正衡とか、維盛、貞季などみな○○守という名がついているのです。ところが貞衡系だけはしばらく後までついていません。想像すると平氏嫡流の貞衡が地元伊勢に残って、中央に出た他の兄弟たちが活躍して出世したので、後年杉原氏を含めた貞衡の子孫たちもそれに仕えるようになったと思えます。』
 うーーん。私が名前と線の羅列としかわからない系図からも、木下さんはいろんな事を読みとってこられるようです。す、すごーーい。

出てきた土御門家の名前

 最初の木下さんからのメールで、『土御門家』の名前があったのは、私の記憶のひだに刺激を与えてくれていたのですが、今回の資料では、
 『杉原氏の祖光平は、村上源氏土御門家に仕えた武士であったが、最初の宮将軍宗尊親王に従って鎌倉に下向し、御家人に転じた」とあります。』
 「土御門家といいますと、公家の名ですよね。」ああ、我ながらなんとトンチンカンな質問でしょう。
 『そうです。(杉原)光平の兄宗平は、三重姓や大和姓などの祖なんですが、後に土御門家との縁戚関係が出てきます。もちろん土御門家は皇室とも関係が深く、杉原氏がその関係でずっと仕えていたことは十分想像されますね。』
 なんだか大変なことになってきました。杉原光平の甥の子が土御門家に嫁ぎ、その土御門家は皇室とも密接な関係があるとは・・・。その縁で杉原氏は平安末期から鎌倉、南北朝、室町と、中央政府の重要な位置を占め続けてきたようなのです。

室町幕府の奉行人として

   最初の木下さんのメールには『以上のように杉原氏は伊勢平氏に属する家系であって、鎌倉時代後期から室町時代初期には幕府の司法官僚(当時の言葉で言う奉行人)を務めてていた家系だとかんがえられます。』とあります。特に杉原光房については、今回の資料で「幕府奉行人としての杉原光房」とか「足利直冬奉行人としての杉原光房」などと詳述しておられます。「幕府の奉行人」という言葉に私の野次馬根性が頭を持ち上げました。
 「ということは、杉原光房は大岡越前のようなものであったのですか?。」
 この私の奇襲には、さすがの木下さんも予想外だったようで、ちょっと時間をおかれて、やがて、
 『うーーん。そう言っても全く間違いではないのですが。私は納得していないところもあるのですけれども。可能性はありますね。杉原光房は室町の裁判長が出す文書の形式の文も出していますし。本来は足利1族が出す文と同じようなものを出しています。』
 さすがに学問的な研究をなさっておられる方です。慎重な言い回しになりましたが、私の「杉原氏、大岡越前説」を否定はされませんでした・・・。というわけで、この1文のタイトルになってしまったわけです。
 木下さんの資料にはそのほかにも「六波羅探題」とか「池大納言家」とか私のつたない知識にも少しひっかかる名前も登場します。無知な私に2時間も貴重な時間をとっていただいた木下さんに感謝です。そのうえ、このHPのために1文を書く事を承諾していただきました。このページをかりまして御礼もうしあげます。(99、7)

PS:このあと、木下さんから「杉原姓雑感」という文章が届きました。鎌倉時代の杉原氏に焦点をあてた研究で、大変に興味深いものです。8月末の更新で載せますので、お楽しみに!。

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