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秋深くそぞろ歩きに古書の市 歌集「杉原」見つけて喜ぶ
 10月もそろそろ終わりの秋晴れの1日でした。街を歩いていたら、何と古書の市を やっているのです。「読書の秋だなー。」と思いながら、見るとはなしにながめており ました。
 そんな私の目に突然「杉原」という字が飛び込んできたのです。このようなHPをは じめて以来「杉原」にたいする私の敏感さは、まるで病気のようなものなのでしょうか 。多くの本に埋もれた、それも茶色になった本の背に書かれた「杉原」だけが、なぜか アップになってとびこんで来るのです。
 相当古い本のようで「山口茂吉第1歌集 杉原」とあります。中を見ますと、昭和1 7年発行のようです。私の生まれるよりまだまだ前のものではありませんか。短歌には 疎い私は、斉藤茂吉の名は知っていますが、山口茂吉は知りません。でも、とにかく買 い求めて帰りました。
 立派な製本なのですが、開くとともすればページがぱらぱらと脱落してくるようなも のでした。

 山口茂吉さんが、昭和17年に師の斉藤茂吉の還暦を祝って発行したもののようです 。みずからが短歌を志してよりの17年間を集大成した歌集で、666首がのせられ ています。
 山口茂吉さんの経歴は、おおよそ次のようです。
 1902ー1958、歌人。中央大学卒。明治生命、住友本社に勤務。大正13年「アララギ」に入会。島着赤彦、斎藤茂吉に師事。歌集「赤土」「杉原」「海日」「高清水」「鉄線歌」がある。昭和23年、歌誌「アザミ」創刊主宰。作風は清澄。

 この歌集のタイトルである「杉原」について、山口茂吉さんはそのなかで次のように 説明されておられます。


  本集の名の「杉原」は、万葉集の『神南備の三諸の山に斉ふ杉 おもひ過ぎめや苔生 すまでに』、『御幣さ取り神の祝がいはふ杉原 薪伐りほとほとしくに手斧取らえぬ』 の杉原と同じく、杉の生ひ茂ってゐる山野のことで、さう取っていただければよいので あるが、なほ、郷里の播磨国杉原谷村をも私は念頭に有ちつつ名付けたものであって、 杉原谷村はその名の示す如く古へより全山野に杉が繁茂しており、それが村の名となっ たものであろうと思はれる。

 山口さんが兵庫県の杉原谷のご出身であったことに親しみを感じると同時に、万葉集 にも「杉原」が登場していることを初めて知り、大きな驚きでした。
なお、この歌集「杉原」から、杉原谷の歌を中心に、いくつか抜粋します。


 播磨杉原谷(大正14年)より
 向山の木がくりにして郭公鳥の なくこゑ寂しふるさとの家
 わが村の四方の山々高ければ  日の没りてより暮るるあひだあり
 高山の岩秀の群に入つ日の   ひかりは赤く映えにけるかも
 ふるさとの高山裾の木ぬれにし 鳴くひぐらしのこゑのさびしさ
 大山の八峰八谷に白雲は    下りゐ沈みてゆふぐれむとす
 あしびきの山より下る夕雲に  麓の寺の鐘はひびかふ
 ふるさとに病む妹を思へれば  一日こもり居て何もせずけり
 杉原谷村(昭和9年)より
 峡とほく杉原谷にかへり著きて 古りし畳のうへに座りぬ
 九十一になりたまふ祖母がわがために 風呂を焚きつつ待ちていませり
 酔ひかえりし父をいさむる母のこゑ 妻に気兼ねをしたまへるらし
 苔づけるまでに年経しいもうとの おくつきのうへに涙おちたり
 杉原紙の原産地の名はのこれども 紙をすく家いま村になし
 
 ほか
 さみだれの晴たる庭にくれなゐに 夾竹桃の花咲きにほうなり   inserted by FC2 system