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50戸のほとんどが「杉原姓」・岐阜県大野町
 はじめに

 『ここはねー。もともと延略寺の荘園の平野荘といいましてな、揖斐川の流域で水害 で何回も様変わりしているんです。うちの門徒が100軒ばかりあります。中心の本庄 は昔は45軒ばかりのほとんどが杉原姓だったんですよ。紋は丸に三本引きが多いです が、庄屋だったという家も何軒かあります。私のところは過去帳は15世紀中ごろから ありますが、多くの資料が洪水で流されたんでしょうかな。詳しくはわからんのです。 』
 こうして揖斐川の堤防から岐阜県大野町本庄地区を見おろしますと、今にも電話口の むこうからの故杉原了昌さんのおおきな声が聞こえてくるようです。
 あ、失礼しました。今日は私、岐阜市の少し西、大野町の杉原さんをお訪ねしており ます。ほぼ二年前に電話で取材しましたときご健在だった超安寺住職杉原了昌さんが突 然亡くなられ、今日はE−MAILでお近づきになった杉原長利さんのご案内をいただ いております。

 杉原傳翁の碑

 杉原姓の多い、大野町本庄地区から北へ少し行ったところに「杉原傳翁の碑」という のがあります。「薮川や三水川の洪水氾濫による惨害を根絶しようとして、治水工事に 打ち込み、現在のような薮川や三水川の基礎を築き、安心して住める郷土づくりに貢献 した・・」とあります。かって天井川として氾濫を繰り返した揖斐川や根尾川(薮川) の治水の功労者として昭和初期に活躍した杉原傳氏の記念碑です。
 「なんでも予算獲得のため、東京で座りこみをしたという話しです。」
 杉原長利さんの説明を聞きながら、水害と闘った杉原傳氏の生涯に思いを馳せました 。治水一筋で1956年には藍綬褒賞を授賞しているそうです。大野町訪問の最初にこ こに案内していただいた長利さんの気持ちが解るようにおもいました。

大野町本庄地区

 『あれを見て下さい。』長利さんの指の先には、高い石垣をめぐらして、その上に家 を建てた・・という家が何軒もありました。近くの座倉という地名もそこから来ている のでしょうか。
 大野町本庄地区は、ちょうど揖斐川と根尾川が合流する地点、その内側のすぐ上流に ありました。家々が密集し、道も曲がりくねり、なんだか戦国の城郭のなかを歩いてい るといった気分にさせられます。どこも大きな家が続きます。表札をみますとみんな「 杉原」さんです。
 「なんでも戦国以前は、今の揖斐川の川底あたりにこの村があったそうなんです。」
 享禄3年(1530年)の大水害で川の流れが変わり、今の位置に落ちついたという ような話しが、当時から度重なる水害と闘いながら、暮らしを守ってきた多くの杉原さ ん達の姿を彷彿とさせます。この本庄の街路の姿は、一族が数百年にわたって団結して 自然と闘ってきた姿なのでしょう。

杉原正さんのこと

   「昔の堤防は霞堤とかいいまして、下が切れていましてな。増水するとそこから水が 逆流して入ってくるようになっていたんです。だからすぐ水害です。家はみな高くつく ってあって、桑の木も少し上のほうから枝分かれしていました。私の家も高いが、それ でも対象元年の洪水では畳の上まで来たといいます。」元小学校の先生で、今は教育委 員会で働いておられる杉原正さんも本庄地区の人でした。にこにこしながら話しが続き ます。
 「洪水のせいか、本庄の墓は江戸以降しかありません。いちばん古いとい われる家は、30何代とか言っていますがよくはわかりません。以前川の浚渫の時、旧 東本庄村の位置といわれるところから、五輪塔がたくさん出ておるんですよ。また、享禄 3年の水害では本庄は流れてきた仏像を拾って、祭ったという話しもあります」
 『大野町の民話と伝説』というぶ厚い本の編集を故杉原了昌さんなどとともにされた という郷土史家の方です。慎重な言い回しながら、いろんなことを語っていただきまし た。(写真は、杉原長利さんと、正さん)

超安寺のこと

     冒頭に登場いただいた杉原了昌さんのお寺、超安寺は大野町本庄の入り口にありまし た。故杉原了昌さんのご遺影に手を合わさせていただいたあと、息子さんの杉原聡さん にお話をうかがいました。
 「私はまだあまり何も知らないんですけれどもね。寺伝では永正7年(1510)了 休を開基としています。代々”了”を受け継いできたんですが、父が伝統を破ってくれ ましてね。」
 にこにこと楽しげに語ってくれた青年住職は、これまた岐阜で教員をされているとの こと。なんだかここの杉原さんは「先生」が多いようです。「そうなんですよ、教員ば かりです。でもね。なぜか国語ばかりなんですよ。いっても社会まで。理数系など一人 もいません。不思議なんですわ。」杉原長利さんは、ご自分がある電気メーカーで技術 系の重職にあることなど忘れたかのようにそんなお話をされました。

 この超安寺関連では、10年来超安寺古文書の調査をなさっているという鳥本洋一さ んという方にもおめにかかりました。
 「ええ、10年くらいやっています。書き直しておさめてあるんですが。そうそう。 大垣藩の士録にも杉原姓の人がいますね。また近くの石原家の文書目録にも杉原が出て きますよ。ここの杉原、石原、安田姓は、古い家が杉原だったということで、平家の落 武者だったとかいう話もあるんですよ。」

 いろんなかたにお目にかかった1日でしたが、それにしても1か所に50軒もの杉原さんがひしめく岐阜県大野町。長い自然との闘いの歴史もすばらしく、全国でも有力な杉原姓の多い所であり、わたしにとってもなんだか懐かしいような土地でもありました。 (1999,2)

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