広島県福山市山野町は、北条将軍の怒りをかった杉原胤平が隠れ住んだといわれるところです。その伝説にもとづく、世良基正さんの「創作民話」がありますので、紹介します。原文は全てふりがな付きですが、ここでは1部のみかっこで読みをいれました。

山野の民話・千貴姫とたぬき

 昔、むかし、北条高時(ほうじょうたかとき)という偉ーい人がおったんじゃ。その家来に、平維盛(たいらのこれもり)の子孫で、杉原胤平(すぎはらたねひら)という人がおったそうじゃ。高時には千貴姫(せんきひめ)というて、大そうべっぴんの娘がおったわい。ところが、いつの間にやら、この胤平と千貴姫が仲良うなって、家臣の間でも評判が立ちはじめたんじゃ。そうして、いつしか、高時の耳にも入るようになったわい。高時はたいそう腹をたてて、胤平を討つよう、家来どもに命じたんじゃ。身の危険を感じた胤平は逃げようとしたんじゃが、千貴姫がどうしても胤平について行くというんじゃ。まあ、そこが母心というんかのう、高時の奥方のはからいで、数人の家来をつれて、西国へと遁れて来たわけじゃ。そうして、どういう縁があったんかのう、この山野を頼り、島串の上にたどりついたんじゃ。そうして、そけえ隠れ住んだんじゃ。ここまで来りゃあ、追っても届くわけがねえ。二人はこーまい小屋を立てたわい。そうして、家来どもと、時の来るのを待って、ひっそりと暮らしとったんじゃ。

 裏には大けな山を背負い、うっそうと木が茂っとる。前は川が流れ、近くにゃあ人家もねえ。鎌倉を遁れ、追手から身を隠すにゃあ、うってつけの場所じゃったわい。ところが、人の往来の多い鎌倉から、遠く西国、しかもこんな山里深い所に身を隠すようになった千貴姫にとっちゃあ、淋しゅうてならなんだ。なんぼう愛しいお方と一緒たあいうても、やっぱり淋しかったわい。しいて心を慰めてくれるものいやあ、木の枝を渡る風の音と、谷川を流れるせせらぎの音、それにたまに鳴く山鳥の声だけっじゃった。じゃが、心を慰めてくれるはずの風の音も、時にゃ鎌倉を思う心にかりたてることもあったわい。せめて子どもでも早うできりゃあ、心も休まろうにと思うんじゃが、その子どももなかなかできなんだ。毎日、いとしい胤平と一緒におれるという嬉しい気持ちと、鎌倉恋しい気持ちとで明け暮れておったんじゃ。

 そんなある日、一匹の子だぬきが千貴姫のところへ迷い込んで来たわい。千貴姫が水を汲みに流しに立つと、入り口のわずかなすき間に、こーまい子だぬきが一匹、ちょこんと顔をのぞかせておるんじゃ。
 「あーら、可愛いこと。」
 千貴姫は思わず、声をかけて、
 「ニコッ!」
 と笑うたわい。姫の顔を見て安心したのか、子だぬきは頭をちょこっと傾けて、じっと千貴姫を見ている。
 「どうしたの?」
 あまりの可愛らしさに、ついつい千貴姫はたずねたわい。
 「はい、わたしは親にはぐれてしまいました。帰るところもわかりません。」
 「ああ、そうかい。そりゃあ可哀そうに。じゃあ、うちにいなさいな。わたしも淋しいから。」
 「・・・・・・」
 「さあ、おはいり。」
 そういわれると、子だぬきは、コトコトと中へ入ってきたわい。

 せえからいうもなあ、子どものおらん千貴姫へ、まるでわが子のように子だぬきを可愛がったんじゃ。たぬきもたぬきで、千貴姫の姿がちょっとでも見えんと、あっちこっち探しまわっとったワ。胤平も、高時の怒りにふれて、こうして二人で落ちのびて来たたあいうもんの、千貴姫のことを思うと、哀れでならなんだ。どうかして、姫を慰めてえたあ思いながらも、そこは親子の情、どげん遠う離れとろうとも、鎌倉を思う姫の気持ちは強く、どげえに可愛うて可愛うて、いつくしんでも、姫の心はなごまなんだんじゃ。へえじゃが、このたぬきが来てからあ、姫も明るうなってのう。胤平もたぬきが来てくれたことが嬉しゅうて、ほんに、胸をなでおろすような気持ちじゃった。じゃが、それだけに、よけい、千貴姫が哀れに思えんでもなかったわい。

 千貴姫は胤平のそういう気持ちをよそに、自分で勝手に、このたぬきに、「たん子」と名前をつけて、二人仲良うたわむれておったんじゃ。
 「お姫さま。今日はわたしが腹鼓を打ちますから、お姫さま、踊りを踊って下さいな。」
 「はい、はい。それでは踊りますよ。」
 「ポンポコポン、ポンポコポーン・・・・・」
 たん子の腹鼓に合わせて、千貴姫は踊りに踊ったわい。気が狂わんばっかりに踊るんじゃ。そうして踊り転げては、また馬鹿笑いをしておった。また、ある時にゃ、たん子が茶釜に化けて、千気姫をびっくりさしたこともあったわい。へえじゃが、化けるもんも、よっぽど考えて化けんと、ある時なんぞはむげえ目に合うたことがあったわい。

 「あら、こんなところにまりがあるわ。たん子もいないことだし、まりでもついてみようかしら。」
 千気姫はそういうて、ひとりで手まり唄を歌いながら、まりをつくんじゃ。しばらくは我慢しとったたん子も、とうとう辛抱しきれんようになって、
 「痛っ! ああ、痛っ!」
 と悲鳴をあげてしもうたわい。
 「あら、あら、まりがものをいうたわ。」
 姫は面白がって、余計、めったやたらにつくもんじゃけえ、たん子も、もうどうにもならん。まりから手を出し、足を出し、頭を出したわい。腹といい、頭といい、もうやたらと痛うていけん。姫はたん子の姿を見て、思わずふき出してしもうた。じゃが、当のたん子はたまったもんじゃねえ。つい調子に乗りすぎてやったもんじゃけえ、とうとう熱を出して二日ほど寝てしもうたわい。
 こうして、泣いたり、笑うたり、はた目にゃあ、まっこと楽しい毎日を送っとったんじゃ。
 へえじゃが、胤平にとっちゃあ、かえって姫が哀れに見えていけなんだ。姫の淋しい心をわざとまぎらしとるように思えるんじゃ。こうして二人で落ちのびて来たんが良かったんじゃろうか。姫にとっちゃあ、いっそ自分がいさぎよう、高時に討たれ、姫を鎌倉にもどすほうが幸せじゃあなかろうか。姫がぐち一ついわんだけに、一層哀れを感じたんじゃ。せめて二人の間に子供でも出来りゃあと、胤平にとっちゃあ、苦しみの多い毎日じゃった。

 そうじゃのう。二年ほどたった頃じゃろうか。たん子ももうたぬきとしちゃあ、立派な一人前の大人に成長しとった。丁度そういう時、たん子にとって、ちょっぴり淋しい、悲しいことが起こったんじゃ。たん子も、もう一人前じゃし、いずれ、おいとませにゃあ、と思うていたんじゃが、こういうことで別れるなあちょっと淋しかった。そりゃあほかでもねえ。千貴姫に子どもができたんじゃ。あれほど欲しがりながら、なかなかできんで、もうあきらめかけておったぐりゃあじゃけえ、姫の喜んだの喜んだの。胤平も踊り上がらんばあに喜んだわい。せえからは、生まれてくる子どものことに夢中になってしもうた。自分の身を大事にと、たん子ともあんまり遊んでくれんようになったんじゃ。いんや、体のことだけじゃあねえ。生まれて来た先のことを、あれこれと、姫と胤平とで話おうて、もうたん子のことなどは眼中になかったんじゃ
 たん子は淋しかった。悲しかった。いつかあ、こうなるじゃろうと思うとったが、いざ、その時が来りゃあ、やっぱり淋しいもんじゃ。
 「いつまでも人に甘えてはおれん。これがええ塩時じゃ。山へかえろう。」
 そう決心すると、たん子は千貴姫がぐっすり寝こんだのを見とどけて、真夜中、ひとりどこへともなく姿を消してしもうたんじゃ。さあ、あくる日が大変じゃ。たん子のおらんのに気づいた千貴姫は、侍女や家来にあちこち探させたわい。自分も身重の大けなお腹を抱えて、
 「たん子ーー、たん子ーー・・・・」
 何度も何度も、たん子の名を呼んでは探したんじゃ。たん子がいる時は、さほど何も感じなんだが、いざ、おらんとなると、やっぱり自分の心のどこかに穴があいたものを感じるとみえる。千貴姫は気も狂わんばっかりに探し回った。胤平や家来の者が体を気づかうほどじゃった。じゃがたん子の姿はもうどこにもなかったんじゃ。
 へえじゃが、また大変なことが起きたんじゃ。たん子がおらんようになったことで、気をつこうたり、体を動かしたりしたことがさわったんじゃろうかのう。千貴姫が急に産気づいたんじゃ。侍女が居るとはいうても、子どもを取りあげたこたあねえ。さあ、どうしたもんかと、みんな大あわてにあわてたわい。とにかく、産婆を呼ばにゃあいけん。胤平は家来に命じて、探させたわい。

 主人の命令じゃ。二人の家来は、日も暮れかかった暗い道を手わけして、上と下とに別れて民家を探したんじゃ。仁左衛門は、あるともねえともわからん道をたどりながら、青滝の上までやって来たわい。どこぞ民家はないもんかと、山ん中をそれこそ死に物ぐるいで探しとったわ。すると、川向こうの中腹に、ボーっと明かりらしいもんが点いとるのが見えるじゃねえか。
 「やれ、やれ、やっと見つかった。」
 仁左衛門は小踊りしてよろこんだわい。少々気味が悪かったが、これも主人のためじゃ。勇気をふるいおこして、その家をたずねたわ。
 「トントン、とんとん・・・ お頼み申す。」
 「どなたじゃな。」
 しわがれた声がしたかと思うと、まるで山姥のようなばあさんが出てきたわい。
 「うへー。」仁左衛門は腰を抜かさんばかりにびっくりしたのう。
 「なんじゃ。」
 ようやく気を取り直した仁左衛門は、ふるえる声をおさえながら、
 「実は子どもが生まれそうなんです。どこぞ産婆さんはいないでしょうか。」
 「ああ、産婆なら、わしが産婆じゃが・・・・」
 「それはありがたい。この下の川端でござる。是非お願い申す。」
 「ああ、ええとも。」
 そういうて、ばあさんはひとつ返事で承知してくれたわい。家来は大そう喜んで、道案内として戻って来たんじゃ。ところが、ばあさんは年を取っていて、夜道じゃというのに、家来がついて歩けんぐりゃあ、
 「さっさ、さっさ・・・」
 と歩くんじゃ。ただの人間とはどうしても思えん。
 「こやつ、ひょっとしたら、狐かたぬきの化け物では・・・・」
 そう思うとよけい気味が悪かったわい。今はそげえなことを考えておる時じゃねえ。この夜中に産婆がみつかっただけでも幸せじゃ。そう思うて、勇気を奮うて戻って来たわい。
 家にたどりつくと、婆さんは実にてきぱきとやるんじゃ。胤平と家来はあっちこっち、いったりきたり、狭い家ん中をうろうろするだけじゃった。この婆さんのおかげで千貴姫は無事にお産をすませたわい。婆さんは、
 「ほーれ。この通り元気な男の子じゃ。もう安心しなされ。」
 婆さんはにこにこしながら、千貴姫に見せたわい。へえじゃが、婆さんの笑顔の中には何か淋しげなものがあったのう。もっと話かけたいのをぐっと押さえとるようにも思えたわい。子どもを腕に抱いたまんま、姫をじっと見とったが、
 「やれ、やれ、わしの役目もすんだわい。さあ、帰るかのう。」
 そういうと、婆さんはさっさと帰ってしもうた。家来が送ろうというと、
 「いんや、この辺の道あ、よう慣れとるけえ、ひとりで大丈夫じゃ。」
 そういうて、さっさと帰ってしもうた。ところがじゃ。帰りがけに戸口まで見送りに出た家来は、婆さんの後ろ姿を見てびっくりしたわい。
 「やっやっ!!」
 家来は、わが目を疑い、もう一度婆さんの後ろ姿を確かめたんじゃ。じゃが、まちげえねえ。やっぱりそうじゃ。着物の下から、大けな太え尻っぽがのぞいとる。
 「あっ!」
 家来が声を出した時、もう婆さんの姿は闇のなかへ消えてしもうとった。思わず、
 「たん子!!」
 大きな声で呼びながら、あとを追っかけたが、その姿のあろうはずはなかったわい。ただ遠くのほうで、
 「クォーン」
 と淋しげな泣き声が一声しただけじゃった。

 次の日、早速、千貴姫の頼みで、胤平は家来を案内に、ゆんべ訪ねた婆さんの家を訪れたわい。へえじゃが、訪ねて、またびっくりしたわい。たしかにゆんべ、こけえ家があったはずなのに、なんもねえ。ただ、岩のくぼみに、柴やわらがちらかっておるだけじゃ。胤平と家来はどうすることもできず、しょんぼりと引き返したわい。
 「どう考えても、昨夜の婆さんはたん子にちがいあるまい。きっとわれらを助けてくれたんじゃ。」
 せえからは、毎日山へ出かけては、たん子を探しまわったが、あの晩以来、たん子はどこへ行ったんか、とんと姿を見せんようになってしもうた。

 いつしか時は流れ、千貴姫の父、北条高時も死に、世は足利高氏が権勢をふるうようになっておったわい。たぬきに取り上げてもろうた男ん子は、「又太郎」と名づけられ、時を得て京都に上り、高氏に従って、父胤平と共に軍功を立てたということじゃ。


 (以下は、世良基正さんの解説文の抜粋です)

 猿鳴峡(山野渓谷の北部)の最北部、神石郡との境界近くに、発電所のダムがある。そのダムの取り入れ口のところに「長者屋敷」「女郎屋敷」と呼ばれる屋敷が残っている。これにまつわる伝説が原話である。
 「山野村語伝記」(基正さんのお父上、世良戸城さんの著作:尚示注)にいわく
 「(略)以上のように杉原胤平は北条高時の臣であったが、高時の娘賎機姫と通じ、罪を得て追われ、弟下総守と共に山野村に遁れ来たのである。高時は家臣に命じて、胤平、勝平兄弟と娘も共に討ち果たすべく、追ってを差し向けたが、高時の室は娘可愛さに、又相当の警護の士をつけてこれを西国に落とした。・・・・(略)
 ・・・・伝説あり「胤平一行が遁れ入る途中、高時の娘は急に産気づき、胤平はあわてて民家に産湯を貰に走る。その留守中、山から出てきたタヌキが産婆役をして安産せしめた。」という・・・・。

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