杉原八幡宮を訪ねて

 広島県東部の「杉原姓」のルーツの1つに、「杉原荘」(杉原保ともいう=筆者注)というのがあります。そこへあったといわれる「杉原八幡宮」を、現在の尾道市に訪ねてみました。
 尾道市立図書館で訪ねますと、「ああ、杉原神社ですね」とすぐに詳しい道順を教えていただきました。「けっこう有名なんだ・・」。どうやら尾道市でも海岸沿いでなく北部の山間地で、今では山陽自動車道が走る近辺のようです。
 その道順に従って、国道184号線を一路北へ。途中、「木梨川」という、杉原姓のルーツとこれまた深いかかわりのある名の川を左にみながら、山陽自動車道尾道インターの少し手前を右に折れます。「府中」という案内標識がありました。しばらくいくと、急に道が狭くなります。「これでも県道かな・・」と前から來る車を気にしながら、池のほとりをめぐると、山間のとある集落にでます。
 原田というところで、めざす神社はさらにそこから谷あいにおりて、やっと車がとおれる道を1キロばかりすすみ、さらに家並を縫って左の山の中腹にあがったところにありました。ここの地名は「梶山田」というようです。

 道々想像したのと違い、「これは・・・。」と思うほどの大きな神社で、拝殿、本殿、そして境内もひろく、奉納された大きな武者絵もいくつもならんでおり、新しいトイレも整備されていました。宮司さんの住まいのようなものもあるようでしたが、お留守で常駐されているのかどうかはわかりません。
 入り口のあたりあるのが写真の「榲原八幡宮」という大きな碑です。この字で「スギハラ」とよませるのでしょう。
 裏書きは、つぎのようになっていました。

 『当宮ハ石清水八幡宮ノ旧社領榲原郷ノ鎮守ニシテ地頭タ
  ル榲原家ヲ始メ郷民の敬仰措カサリシトコロナルガ今回
  保元、元暦ノ古文書ニ基キ社名ヲ変更シテ、ソノ記念トシテ
  社号標ヲ建設セラルルヲ以テ茲ニ此ノ謂レヲ誠ス
       昭和三十年九月吉日
            石清水八幡宮宮司 副島知一 』

 中世の荘園は、今の山間部にけっこう多く、岡山県では「新見荘」が有名です。この「杉原荘」もこの山間部に栄えたのでしょう。でも私の印象としては、「杉原荘」は「米」だけでなく、例えば絹とか綿とか鉱物資源とか、何か他の産物があったのではないかと思われました。

 府中の八ツ尾山に城を築いた伊勢桑名平氏の1族「光平」が、この「杉原荘」をも領したため、「杉原光平」と名乗ったのが、この一帯の杉原姓の最初といわれています。ただこの近辺には現在「杉原」という地名が残っていないため、「杉原荘」(杉原保)がどこであったかということについては、まだはっきりしていないようです。

 のちに杉原氏とともに栄えた「木梨荘」の名残とおもわれる「木梨」という地名が、すぐ西にある事、山1つ北へ越えたところが、八ツ尾山の府中であること。さらに少し東南にいったところにあるのが、のちにもう1つの杉原姓の拠点となる「高須」であること。
 現地に立ってみて私は、この3地点にちょうど囲まれた形になる「杉原八幡宮」の地が、「杉原荘」であった可能性は高いという印象を強くもちました。('97,7)

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