茶陶の展示会・丹波焼の杉原さん |
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岡山市の中心部に「天満屋」という百貨店があります。私の職場から近いということもありまして、時々お昼の散歩で立ち寄ったりします。お正月あけの週、ここの画廊で「杉原祥公茶陶展」というのが開かれていました。おりよく御本人がおられて、例によりましてインタビューに及んだのです。
「たしか、以前にもここで個展を開かれていましたね」
『2年前です。だいたい2年おき位にやらしてもらっています。』
茶系統のしゃれたスーツでまとめた、若々しいいでたちの杉原祥公さんには、気軽に質問に答えていただきました。
丹波立杭(兵庫県多紀郡今田町下立杭)の方で、丹波焼の作家だそうです。
周りには、茶碗をはじめ、水指、茶入れ・・・といったお茶道具が並んでいます。私と似通ったお歳かなーと思いながら、出された抹茶をいただいて、インタビューを続けました。
「茶陶というのはいかにも上品ですが、どうして選ばれたのですか」
『焼き物をはじめたら、壺か民芸物か、茶碗のようなものにか、次第に分かれて行きます。日本の焼き物は、お茶があったからここまで栄えてきたわけで、自然に茶陶ということに・・・』
「四角い茶碗などもありますよね」
『そう、まあるい茶碗だけではつまらんでっしゃろ。それなりに考えたんですわ。』
並んだ作品群には「雪」をテーマにして、地肌の色と白い点とがきれいにマッチした作品が目を引きます。
「もう何年くらい陶芸をやっておられるんですか?」
『30年くらいにはなりますんや。家業が焼き物屋でしたから、子供のころから土いじってまして・・・』
『焼き物屋いうても、灘の酒樽がありまっしゃろ。こもかぶりの。あれは中が陶器の樽になってましてな。その樽をつくってましたんや。でも今は需要が減りましてな。』
「で、そのなかから茶陶をはじめて、作家になられたんですね」
『そうや。でも作家いうたかていつやめるかわからんし。土いじりでやっていくのも大変なんですよ。これで。』
気さくな物言いの祥公さんと周辺の上品な茶陶とが、どうもぴったりと結びつかないのです(ごめんなさい、祥公さん)。でも素人の私の目にも、本当に心のなごむようないい作品群でした。
『でも杉原って少ないでっしゃろ』こんどはこちらが取材されてしまいました。
「ええ、このHPはじめてから調べましたんですけど、全国で11、000軒程のようで、日本の姓のなかで多いほうから350位くらいらしいです。」
『そう。あんまり多いとは思わへんかったが。昔、坂本九さんが死んだときの飛行機事故。あれで何か私の神戸の親戚の杉原の人が亡くなってはるんですわ。神戸にも多いんとちゃいますか?』
で、最後にやっと御先祖の話。
『先祖?。だいたい昔は山賊やったんやないかと思うとるんやが。まあそれは冗談として、私ところより20キロくらい奥に、住山(すみやま)という所がありましてな、先祖はそっから出てきて酒樽を作っとったらしいです。』
杉原祥公さんは、昭和45年、丹波立杭に登窯を築かれ、和歌山県美術展特選、兵庫県美術展神戸新聞社賞、同近代美術館賞、半どんの会文化賞及川記念賞などを受けられています。松山、岡山、大阪などで、毎年のように個展(茶陶展)を開かれています。(98,1)