日本のシンドラー
杉原千畝のお話し

 今日本で名高い杉原姓のうちの1人に、杉原千畝(ちうね)がいる。
第二次大戦中、遠く北欧の国リトアニアに滞在していた、「リトアニア代理領事」 杉原千畝は、ドイツ軍の迫害を恐れ、ポーランドから逃れてきた数千人のユダヤ人に 、本国外務省の反対を押し切って日本通過ビザを発給、約5、000人のユダヤ人の 命を救ったといわれる。
 戦後、なぜかその責任を問われ、外務省勤務では薄幸に終わったが、イスラエル 政府よりの勲章、「諸国民のなかの正義の人賞」などさまざまな賞をうける。
 1991年、リトアニアには、杉原千畝記念碑が建立され、「杉原通り」ができた。
 1992年には日本の国会において杉原千畝の名誉回復が確認される。
   また、故郷の岐阜県八百津に「人道の丘」記念碑建立。
 1993年、ワシントン、ホロコースト博物館に杉原千畝記念館もでき、
 1983年のフジテレビ「運命を分けた1枚のビザ」をはじめ、テレビで何回も 特別番組にとりあげられた。

 杉原千畝は、1986年に死去したが、その遺族などを中心に今、「杉原千畝 記念財団」の設立が計画されている。

 杉原千畝については、  人道の丘、杉原千畝NET記念館 に詳しい。
 千畝の生まれ故郷、岐阜県加茂郡八百津町にお住まいの方のHP

1997年8月20日(火)~24日(日)まで、岡山市の天満屋百貨店で「杉原千畝展」が開催され、約5,000人の入場者がありました。

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