真相!『杉原ビザ』 |
あの戦時下で杉原千畝さんの行ったきわめて人道的な行為は、称賛に値すべきことはいうまでもないと思います。
杉原千畝さんに学んで今の世に生きる私たちは、現代の社会を人権が尊重され、民主主義が定着した社会にするために、一層努力しなければならないと思います。
ここに一冊の本があります。『真相・杉原ビザ』(渡辺勝正著、大正出版)です。2000年7月に発行された480頁ものぶ厚い本です。
「真相」!というタイトルからは、杉原千畝さんの人道的ビザ発行に、何か追求されるべき”真相”があるのか?なんて誤解してしまった私は、中を読み進むにしたがって驚いてしまいました。な、なんと、杉原千畝さんの行ったビザ発行についてさまざまなデマともいえる話しが流されているというのです。
「あのビザ発行は、実は日本政府の方針にもとづいて行ったもので、杉原千畝は偉くもなんともない。」とか、はなはだしきは「杉原千畝はユダヤから大金をもらってビザを出した」なんていうのまであるそうなのです。
あの戦時下で、政府の方針に逆らってまで、人道的ビザを発行し続け、6、000人ものユダヤ人の命を救った行為が、他の誰が出来たでしょう。そのために、戦後の民主主義下の外務省からも追放されてしまったのです。その行為をいまだに中傷するような人達がいる・・・・。悲しい世の中ですねー。
私は日本政府が行ったとされる杉原千畝さんの名誉回復はまだまだ足りないと思っています。さかのぼって「国民栄誉賞」にしてやっとバランスがとれるのではないでしょうか。それなのに、いまさらこんなデマまで流して、杉原千畝さんをおとしめようとする人達がいるとは、どういうことなのでしょう。ひいては「あれは政府の方針・・・・」などとは、当時の日本政府の戦争責任さえ免罪しようとする意図から出たとしか考えられないではないですか?。
と、私などすぐ熱くなってしまうのですけれども、この本『真相・杉原ビザ』の著者渡辺さんは、これらの動きに対して長く研究を重ねた結果をこの本で明らかにし、事実をもって杉原千畝さんの行為の真相と価値を提起しておられます。以下そのいくつかにふれてみます。
杉原ビザとユダヤの金 |
岐阜県八百津町は故郷 |
「杉原ビザ」は難民救済という人道的所産 |
杉原千畝FAQ集(松浦寛) |
--ユダヤ人を差別しないことを決めた「五相会議」決定は、「第一次」近衛内閣の決定で、日独伊三国同盟の締結を前提として成立した「第二次」近衛内閣にとって、千畝の行為は、ドイツとの同盟締結を危うくしかねない反逆行為であった。
松岡外相との往復電信文の一部が、外務省外交史料館に残っているが、千畝の発給条件を無視したビザの大量発行を認めたものなど一通もなく、千畝がカウナスを退去した後さえ、「貴電ノ如キ取扱を為シタル避難民ノ後始末ニ窮シ居ル」(9月8日付)と、回電は、本省の執拗な怒りをあらわにしている。
千畝の行為は、ビザ発給に関する「人道問題」であり、「人種問題」とは関係がない。
なお、「五相会議」決定の原案策定者である、安江仙弘大佐(大連特務機関長)は、三国同盟締結の後予備役に編入、日米開戦の後、決定は廃止された。
参考文献
白石仁章「いわゆる"命のウ"ィザ発給関係記録について」(『外交史料館』第九号,1996年3月)『外務省執務報告』亜米利加局、第三巻、昭和14年(クレス出版)安江弘夫『大連特務機関と幻のユダヤ国家』(八幡書店,1989年)
-- これは、千畝がリトアニアに派遣された最大の目的が、緊張高まる独ソ間の情報収集にあったこ
とをことを理解しないことに由来する誤解である。ロシア語で書かれた報告書で、千畝は、参謀本部
が外務省に働きかけ、「ドイツ軍進攻の速やかで正確な特定を要請した」とある通り、国家存亡にかかわる情報収集が最重要事柄であり、当時の外交官としては、ビザ発給は二次的な仕事であった。
参考文献
エヴァ=パワッシュ・ルトコフスカ他「第二次世界大戦と秘密諜報活動--ポーランドと日本の協力関係」(『ポロニカ』1995年、6月号)
--諜報活動の「見返り」としてポーランド亡命政府の将校と家族に発給されたのは「15名」分(『ポロニカ』p.30)であり、ユダヤ難民への大量ビザ発給は、「余分なこと」であった。レビンが挙げている将軍の内、小野寺信少将のストックホルム着任は、いわゆる「命のビザ」発給の翌年であり、樋口季一郎少将とは、戦後も含めて一面識もない。
日本語の読めないレビンの著作は、杜撰きわまりないものであり、翻訳にも各所に小細工が施され、問題多いものである。
類書との相違は、枚挙されるインタビューだが、このインタビューには実際に行われたものでないものがあり、その中には杉原夫人のものまで含まれている。
参考書
渡辺勝正『真相 杉原ビザ』(大正出版,2000年)
松浦寛「捏造される杉原千畝像」(『世界』岩波書店,2000年9月号)