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元平家落人部落の多くは杉原さん(佐賀)

 佐賀県山内町に杉原さんが多い。特に船ノ原という平家落人伝説のある地区に多く、そこにはかって平家の人達が踊ったという『かんこ踊り』が伝わっている・・・。5年ほど前に電話取材で聞かされたことですが、今回ようやく訪れることができました。

有田と伊万里の隣町

 関門峡を渡り、九州自動車道から長崎自動車道へとうつります。途中には大宰府、吉野ケ里遺跡など、有名な旧跡があります。佐賀市をすぎ、武雄市から国道34号線を西に進むと、すぐに山内町(やまうちまち)になります。岡山からちょうど540kmでした。もう長崎県に近い場所ですが、ふと気がつくと西隣は有田町、北は伊万里市と陶器の町を隣町にもつところでもありました。
 北には黒髪山といういかにもごつごつと異様な姿をした岩山、南にはなだらかな神六山。その2つの山にはさまれた盆地が山内町でした。
 そして神六山のなだらかな斜面に、一軒また一軒と、取り付くような家々が続くところが船ノ原地区だったのです。
 「この船ノ原は杉原が多く、それから永尾、諸岡の3つの姓がほとんどです。」およそ40軒の杉原さんがおられるようです。

『かんこ踊り』のこと

 山内町史談会会長の馬場正文さんをお訪ねして「船ノ原」地区の歴史についてお聞きしました。馬場さんは「山内町史」(S51)を出して説明して下さいましたが、そこには「かんこ踊り」として次のように書かれていました。
 (壇ノ浦での平家滅亡=1185年のあと)『(略)正治2年(1200)平維盛の子六の助をはじめとする一団が武雄領に流れ着いた。(略)武雄領主六代後藤常明は「窮鳥ふところに入る」として船ノ原に忍ばせ、藤津郡久間村に領地を与えてこれを匿った。
 船ノ原に隠れ忍ぶ平家の公達たちは、徒然なるままに京で習い覚えた踊りをおどって無聊をなぐさめ、酔えばすぐ「かんこかんこ」と踊ったという。この踊りは伊勢平氏の本拠である伊勢にも「神子踊り」というものがあってほとんど同じだという。踊りは太神楽に似て、歌が少なく手数が多い。(略)
 昭和41年(1966)に県重要無形文化財に指定され、毎年9月の氏神秋祭りに奉納している。』
 馬場さんはさらに「山内町にはほかにも各地に古くからの踊りが伝わっているが、このように群れをなして踊るものは他には無い。」と説明されました。

「平家の末裔」という家は無い??

 なるほど、船ノ原地区に入って表札を見ますとたしかに杉原家が多いようです。元老人会長の杉原正二さんにおうかがいしました。
 「たしかにかんこ踊りが伝わって、町史にもここが平家の落人部落と書いてあるけれど、なぜか『うちは平家の末裔だ』という家は無いんです。」
 「ここの杉原家もみんなばらばらで、家紋もみな違います。」
 「我が家は古いんですというといった家もなく、(元庄屋という)旧家もありません。」
 最後に杉原正二さん、次のように言われたのです。
 「この平家の人達は、上のほうの戸川という地区に住んだらしいのですが、結局シラケンジョウ(白木塞)というところでみんな打ち首になったと聞いたなー。」

 これは町史には載ってないようですが、地元にはそう伝わっているようで、それだと平家の末裔がいなくて、かんこ踊りが平家の霊を慰めるものとして伝わってきたとしても、符合するようです。

参議院議員『杉原荒太』のこと

 最後にこの船ノ原出身の参議院議員『杉原荒太』についてふれておきましょう。1899年、佐賀県のこの船ノ原で生まれた杉原荒太氏は、外務省に勤務、戦後1950年参議院議員に当選。鳩山一郎の外交ブレーンとして活躍したといいます。1955年には第2次鳩山内閣に防衛庁長官として入閣しています。1982年没。
 この杉原姓唯一の国会議員杉原荒太氏の生家の場所はこの船ノ原にあるようですが、今はもうこの地には関係者の方は残っていないということでした。(2005,6)

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