|
杉原姓3大有名人の一人「杉原千畝」、先の第2次大戦中、北欧リトアニアで、良心に従いビザを発給し続け、約6000人のユダヤ人の命を救った人です。その杉原千畝の生家がある岐阜県八百津町(やおつちょう)の「人道の丘と杉原千畝記念館」。このHPを始めて9年になるのですが、ようやく訪ねることが出来ました。
中仙道太田宿。前夜泊まったJR高山線美濃太田駅のあるところは、みごとな「うだつ」が上がった脇本陣がそのまま残る宿場町でした。また日本ライン下りの起点でもあります。
公園内にあるシュバイツアー博士とナイチンゲールの像は、「人道の丘」を人道公園にふさわしいものにしています。
いかに人の命が懸かっていたとはいえ、所属していたときの外務省の反対をおして行動を起こす。おそらくその時の杉原千畝には、当時の世界情勢と日本のおかれている立場が、余すところ無く想起されたにちがいありません。どうなるか?。ナチスはいつかは敗れようが、その後4~5年にして敗退するなどは知りえなかったことです。その決断は命をかけたものにならざるを得なかったと思われます。今日の訪問は私の今後の人生にとっても、大きなものになりそうです。 記念館2Fには、アウシュビッツの現在と、助かったユダヤ人や、その後の杉原千畝がたどった道を訪ね歩いた優れたルポルタージュが展示されていました。また杉原千畝関連の出版物も豊富で、読んでいると時間を忘れます。 ただ一つ、平日のこととて他に訪れる人が無く、貸切状態だったのが心残りでした。このレポートを見ていただいた皆様、ぜひ一度行かれることをお勧めいたします。きっと杉原千畝は、あなたの人生にも何がしかの糧を与えてくれることは間違いないと思いますので。(2005,8)
|