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人道の丘と杉原千畝記念館・岐阜県八百津町

 杉原姓3大有名人の一人「杉原千畝」、先の第2次大戦中、北欧リトアニアで、良心に従いビザを発給し続け、約6000人のユダヤ人の命を救った人です。その杉原千畝の生家がある岐阜県八百津町(やおつちょう)の「人道の丘と杉原千畝記念館」。このHPを始めて9年になるのですが、ようやく訪ねることが出来ました。

木曽川のほとり、木材の集散地が八百津町でした

 中仙道太田宿。前夜泊まったJR高山線美濃太田駅のあるところは、みごとな「うだつ」が上がった脇本陣がそのまま残る宿場町でした。また日本ライン下りの起点でもあります。
 そこから木曽川上流へバスで30分で目的の八百津町に着きます。この町は木曽の木材の集散地で、かってはここでいかだを組んで下流に送っていたそうです。町が出身の杉原千畝を記念して作った「人道の丘公園」はさらにこの街の中心部からバスで10分(この日はタクシーで約1200円)東の、八百津町を一望に見渡せる丘の上にありました。木曽川最大の丸山ダムもすぐ近くにあります。こうして公園から八百津町をながめていますと、千畝少年がこの山間の土地でのびのびと育った様子が目にうかんできます。さすが良いところへ「人道の丘」を作ったものだと思いました。

2つのモニュメントは、鐘を鳴らし、音楽をかなでて!
 園内には2つのモニュメントがありました。1つは積み重ねたビザを象徴する3つの台状のもの。上にある鐘をついてみました。カーンカーンカ~~ン、余韻を長く響かせ好い音がします。平和の鐘なのでしょう。もう一つは世界の国々を象徴するパイプを組み合わせたもので、長さの違うセラミックパイプを打ちたたいて音階をかなでるようになっていました。30分~1時間間隔で「大きな栗の木下で」「故郷の空」「今日の日はさようなら」など4曲をかなで、「世界に人道と平和を発信している」とのことでした。夏の暑さにもかかわらず、公園内は見事に刈り込まれ、よく整備されたいました。
 公園内にあるシュバイツアー博士とナイチンゲールの像は、「人道の丘」を人道公園にふさわしいものにしています。

豊富な展示で人を離さない記念館
 そしてこの公園のハイライトは「杉原千畝記念館」です。千畝が書いた多くのパスポートをはじめ、さまざまな展示が、千畝のあのときの決断とその前、後の生涯を浮かび上がらせてくれます。約15分間のビデオを見ました。よくまとまったものですが、各種資料で杉原千畝のことをそれなりに知っていた私は、終始涙が止まりませんでした。
 いかに人の命が懸かっていたとはいえ、所属していたときの外務省の反対をおして行動を起こす。おそらくその時の杉原千畝には、当時の世界情勢と日本のおかれている立場が、余すところ無く想起されたにちがいありません。どうなるか?。ナチスはいつかは敗れようが、その後4~5年にして敗退するなどは知りえなかったことです。その決断は命をかけたものにならざるを得なかったと思われます。今日の訪問は私の今後の人生にとっても、大きなものになりそうです。
 記念館2Fには、アウシュビッツの現在と、助かったユダヤ人や、その後の杉原千畝がたどった道を訪ね歩いた優れたルポルタージュが展示されていました。また杉原千畝関連の出版物も豊富で、読んでいると時間を忘れます。
 ただ一つ、平日のこととて他に訪れる人が無く、貸切状態だったのが心残りでした。このレポートを見ていただいた皆様、ぜひ一度行かれることをお勧めいたします。きっと杉原千畝は、あなたの人生にも何がしかの糧を与えてくれることは間違いないと思いますので。(2005,8)

杉原千畝記念館のHP

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