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中帯江、もう一つの庄屋家

 豊洲地区中帯江では、元大庄屋の永瀬家がありますが、そのほかに「帯江村史」などでは、「中帯江村庄屋 伴左衛門(故種野誠一)」などという名前が出てきます。この家はどこだろう?と電話帳を繰ってお訪ねしました。
 「あの谷の向こうで、今奥様が車を磨いておられる家があるでしょう。あそこがそうです。」ご近所とはいえ地理不案内の私を導いていただいたご近所の方、有難うございました。

220年経ったお宅が現存!

 「そう(元庄屋家)らしいです。でも主人は今釣りに出かけていますので。」ということで出なおしたある日。
 ここは、中帯江の谷を少し入って、右手の小高い位置にあるお宅です。笹薮のお隣で、何となく中帯江一帯を見渡せる場所でもありました。
 ご主人の種野(くさの)正臣さんは私よりちょっと先輩、定年後の悠々自適生活のようでした・・、あ、それよりも妹さんが私と中学校が同級生!!。先日の同窓会ではお会いできませんでしたが・・などと懐かしいお話しで盛り上がってしまいました。
 「この家は、そうですね。220年はたっているでしょうか。父が”築後150年”ということで大修理したのが70年前と聞きましたから。昔は東へもう一間あったのですが、山崩れで壊れて小さくなったと言います。」
 220年前といいますと、1784年。天明のころです。江戸中期の建物が現存し、今も使われている・・。おそらく豊洲地区で最も古い建物なのではないでしょうか?門前でワン君が出迎えてくれたり、元の長屋門の雁木が今も残っていたりしました。「昔は藁葺きで煙出しの家。長屋門もあり、よくむこうから絵描きが我が家を写生していたものです。」「ここはちょっと掘れば岩だらけで、地盤はいいのでしょうね。」
 う~ん。いろんな条件がそろっているようです。豊洲で一番古い土地、そこで古くからの有力家、いったいいつごろから住みつかれたのでしょうね?。

豊洲の役場をつとめた時期も

 「中帯江村のころはここが役場だったそうです。これがそのときの印です。」と取り出された大きな印章。なるほど、『中帯江』とか『種野』だとかいう字が読み取れます。豊洲村史(小原俊昭さん)では1883年(明治16)から、1889年(同22年)の豊洲村発足までの間、「都窪郡第一戸長役場(戸長種野誠一連合村役場)」が置かれていたとなっています。おそらくそのときの印章なのでしょう。『中帯江』とあるところをみれば、その前から「中帯江村役場」だったのかもしれません。誠一さんは、正臣さんより三代前の人だそうです。

これが中帯江の「本道」といって、昔の道です

 後日お墓を見せていただきました。お宅の裏手の山中にあったのですが、そこへ行く途中の事です。
 「これが中帯江の『本道』いいまして、昔の道です。昔はこの程度の道で良かったんでしょうな。」でも谷の中腹をたどる人一人やっと通れるような道です。今の「中帯江公園」あたりを発して、種野家横から奥へ、ゴルフ打ちっぱなし場下の池の横を通って奥へと進んでいるようです。今は谷の西側に不洗観音への参道がありますが、昔はこの谷東の道も重要な役割を果たしていたのでしょう。
 帯江村史(1956)には「当時の撫河郷に属したる中庄・鳥羽・徳芳また早島・中帯江・五日市等の古地には(略)条里の遺制を存する」とあります。もしかしたらこの道なども奈良時代からの道なのかもしれないなー・・などと勝手に想像しながらの道中でした。

「伴左衛門」のお墓が

 本道から右へそれて山へと上がります。いくつかのお墓が散見されますが、その一画に「庄屋種野家墓」がありました。まず飛び込んできたのは「種野誠一」さんのお墓。明治27年(1894)歿とあります。そして「草野○右衛門」。このお宅は明治初めまでは『草野家』だったそうで、当然予想されたことではありました。

 そして「伴左衛門」さん。文化2年(1806)歿。さきの帯江村史の記述とぴったり年代が合います。ただこれには「溝井伴左衛門」とあるのです。うーん。どういうことだろう・・・。
 そして「松岡八太夫清忠」というお墓も。友人の清水さん情報では、玉島に「種野八太夫三女」というお墓があるそうです。どうやらこのお宅に「八太夫」さんがいたのは間違いないようですが。「溝井」「松岡」・・ちょっとした謎になってしまいました。???
 「ここではもしかしたら、実家の姓でお墓を作ったのかもしれないな?」などと考えたのはだいぶ後のこと。この原稿を書く段階での思いつきなんですけど。
 他の多くのお墓は戒名のみで、俗名がわかりません。また細かく経歴を書き込んだお墓がいくつかあるのですが、彫りが浅く私にはよく読めませんでした。年代がわかる1番古いのは、享保元年(1716)ですが、もっと古そうなお墓や、家形のいくつかのお墓・・・。光線の変わる時間を見て何度か足を運べば、そのうち読めてくるかもしれませんが、やはりかなり古くから住みついておられる家のようではありました。

 中帯江を見渡せる高台の、旧庄屋家からの中継を終わります。(2004,11)

PS:あ、すっかりワイドショーしてしまいましたね。失礼しました。だってある友人が「杉原さんのHPって、ドキュメンタリータッチで、まるでTVのワイドショーみたいですね。」なんておっしゃるんですもの。。。。

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