「目次」へ戻る
コラム1 労研パン

 小学校のお茶炊き場で、労研パンを買って食べるのが楽しみであった。
 大正10年(1921)に創立された「倉敷労働科学研究所」が倉敷紡績で働く女子従業員向けの栄養食として昭和4年(1929)ごろ誕生させたもので、たんぱく質・脂肪・炭水化物のいずれにもすぐれていた。
 今思い出しても素朴な味であったが、終戦後、進駐軍の仕事に行って食べたジカタビと呼ばれたパンがあったが、それよりははるかに美味しかっただろう。
 「かしわもち、もみ種の残り、あてにする」これは、種もみ用のもみが残ったら、もみづき(粉にする)してかしわ餅の材料に回すという意味である。よもぎ餅やかしわ餅をたくさん作って、近所や親戚へ配って歩いたら、そのまたお返しがきたりした。お返しにはお寿司なんかもあった。
 昭和30年前後のことである。「急げ幌馬車、鈴の音だより」のメロディーに乗って、小さな車が、出来たてのパンと小麦を交換するために来ていた。子ども達が小麦の袋を下げて、走っていったのを思い出す。パンが珍しかったころで、来るのを楽しみにしていた。

inserted by FC2 system